広島、長崎

歴代の総理が、広島、長崎の原爆慰霊にどれくらいの思い入れがあったかは、知らないが、コイズミ首相の、今回の広島、長崎慰霊の旅は、まさにコイズミらしい、心が全く抜け落ちた、彼が一番得意とする派手なパフォーマンスだけだった。

式典に参加して、用意された原稿を棒読みにして、終わればさっさと東京に引き返す。

それに比べて、直前の、次期総裁候補のアベの応援に費やした時間は、膨大だ。

アベの関係者と綿密な打ち合わせをやり、飯を食い、温泉に入り、やりたい放題だ。

なんで、こんな低俗な人物を総理大臣に据えたのか、恥ずかしい。

今回のコイズミの行動を、国民は見逃してはならない。余りに恥知らずな振る舞いだ。

コイズミという人物はいったいどんな人格形成の過程を経てきたのだろうか。

彼がアメリカに配慮すればするほど、原爆から遠ざかるだろう。

核兵器ほど汚く、強力な兵器はない。20世紀科学の最大の汚点だ、いや人類史上最悪の発明だ。

私には、核戦略を論じる知識は全くないが、あんな悲劇を二度と繰り返してはならない、という強い思いがある。

訳知り顔で、核を背景にした世界戦略を肯定的に論じる大学教授や高級官僚、政治家がいるが、あの連中は、核兵器自体をどう捉えているのだろうか。

彼らは、自身が核兵器によって身を焼かれたときに、初めて気が付くだろう、核兵器の恐ろしさを。

アメリカが、核の脅威をちらつかせている間は、ぜったいに、核兵器の廃絶など、実現できるわけがない。

世界で唯一の核被害国として、胸を張って、核兵器及び核の傘を、否定できる国になって欲しい。

アメリカの、身勝手な世界戦略の片棒を担ぐのは、もう十分だろう。

アメリカ国内では、広島、長崎を論じるとき、パールハーバーを持ち出して、反撃する愚か者がいる。

国対国の遺恨で、広島、長崎を語っているのではないのに、いまだにそれが理解できないらしい。

人類がしでかした、核という悪行を、悪者探しではなく、人類全体の問題として捉えられる時代は、まだまだ先のようだ。