都立高校入試から色々なことを考えた。
無茶な議論もあり、最後には、話題がよそに飛んでいったが、あえて投稿した。
都立の特定高校で、難解な自作問題入試を実施することは、特別な対策を必要とし、その対策が可能な経済力を持った者だけが、有利になると考えるのは、自然なことではないか。
公が、経済力格差を教育の場で容認し、学習機会を奪うという差別を推進して良いものだろうか。
大学教育と異なり、半ば義務教育化している高校教育であることも考慮すべきだ。
共通の入試問題(理科、社会は除く)では、簡単すぎて、差が出ないのか。
共通の入試問題レベルではほとんど満点を取ってしまうから、もっと難解な問題を解ける子供を取りたいということか。
満点でも良いではないか。内申点も30~40%あることだし。
満点が続出しても、その中から、適切な選択をすることが、教育者に科せられた責務ではないのか。
英、数、国、理、社の5科目では差が出ないなら、中学教育で行われる全科目(9科目か?)にしたらどうか。
現行の5科目だけが、教育を評価する絶対的基準ではないはずだ。
東京都以外の公立高校入試では、進学校だけ難解な別問題を出題するという例はほとんどないのではないか。
多くの公立高校入試では、共通問題で実施されているが、大きな問題がないからだろう。
都が目指す都立高校改革、とくに進学指導重点校というものの創設は、中高一貫の進学校が小学生に押しつけていることと同じだ。
絶対に通塾が必要な難解な問題を出し、それを解答できることが、頭の良さ、と思わせて、その学校の評価、価値を高めるという手法だ。
そんな難解な入試を突破する子供は、ある種の頭の良さを持っていることは認めざるを得ない。
子供は一生懸命に知識を覚え、その運用法に習熟させられる。
そこには創造性の下地となる、色々な事象を落ち着いて観察し、何かを発見するという思考過程はない。
大手塾の教育方針を読むと、自分たちがやっていることが、あたかも創造性を育てる優れた教育のように書いてある。
あの学習手法のどこが、創造性を育てると断言できるのか、教えて欲しい。
N、Y、Sという中学受験専門の大手進学塾でやっていることのどこが、子供の創造性を伸ばす教育なのか。
知識の詰め込みと、その運用を教え込むことのどこが、創造性なのか。
私には、創造性を無視し、創造性の意味自体を変質させる、有名進学校の身勝手な要求に対応した学習をやってるだけにしか見えない。
国も、東京圏にある難関で有名な国立中学、高校(中高一貫校を含む)で同じようなことをやっており、私立の難関校と同じような入試を容認している。
この国は、誰が、教育をまじめに考え、責任を持って取り組むのだろうか。
義務教育の場で、何故、創造力を育てる教育をまじめに考え、本気で取り組もうとしないのだろうか。
国を支配する階層にとって、自分たちの既得権益を守るために、多くの国民に創造力を持ってもらっては都合が悪いのだろうか。
日本は、教育で成り立ってきた国であることを、どこかで忘れてしまったようだ。