帰国子女枠の不思議

学校入試に帰国子女枠というものがある。

その意図はある面理解できる。子供達が必ずしも望んだものではないのだから。

日本国内にいると同じように教育できないから、ということもある面では理解できる。

でも、全面的に理解はできない。大体、枠があるということが理解できない。

不利を補うつもりなら、困っているもの全員に、その制度を適用すべきではないか。

枠から漏れたものは、一般入試を受けなくてはならないのだから。

変な制度だ、全員を救済するつもりはないのだから。

帰国子女に期待するものは、ズバリ、外国人の代わりだと思う。

だったら、留学生をもっと積極的に受け入れたらどうだろうか。

その方が、国際交流や、異文化の理解に繋がるし、留学生は、本国に帰り、日本への橋渡しをしてくれる。ハッキリ言って、帰国子女より日本の国益にプラスになる。

帰国子女が、ある国の言葉や文化に習熟していると言っても、その国の人にはかなわないはずだ。

日本語の話せる重宝な外国人代わりに帰国子女を考えているのなら、失礼な話だ。

日本国内にいる子供ほど高い学力が要求されない帰国子女入試は、果たして、その学校にとって、プラスになっているのだろうか。外国語に堪能なものをある一定以上保有するというメリットはあるだろうが。

ここでも、日本人の、語学学習好き、あるいは語学コンプレックスを感じる。

もう40年も前の話だが、私の近親者で、小学校の半ばまでアメリカ(ニューヨーク)で暮らしていた者がいる。

日本に帰ってきたが、全く日本語がしゃべれず、小学校でいじめられて、少々いじけてしまった。

当時は、帰国子女枠なぞという言葉自体なかった。

その学校での体験が、その後の人生にどんな影響を与えたかは、本当のところは、わからないが、人間不信から学業がはかどらなかったことは確かだ。

月日は流れ、国際交流の重要性や、日本人の語学コンプレックスもあり、今や帰国子女は、ある種のステータスになっている。私の近親者も、今なら、違った人生を歩めたかもしれない。

帰国子女は、語学試験のウエートが高い入試では、圧倒的な強さだ。

大学入試レベルの英文は、その英文に書かれている内容は、大学教育を受ける能力があるかどうかを測るにしては、レベルが低すぎるのだ。試しに、有名大学の英文長文問題の全訳を落ち着いて読んでみるといい。小学生や中学生でも、十分理解できる内容のものばかりだ。そして、その簡単な内容に関して、簡単な質問に答えればいいのだ。

日本語で書かれていたら誰でも理解できるものを、ただ、英語で書かれているからということだけで、ありがたかっているとしか思えない。

大学入学資格を測るのは、日本語で書かれたもので、それなりのレベルのもので実施して欲しい。国語をこれだけ大切にしない国は、他にあるだろうか。理系にしても、その入試科目で、国語を必修にすればいいと思う。

多種多様なマイノリティーの存在するアメリカにしても、高等教育を受けるものの条件として、米語の一定以上の能力を要求しているのは周知の事実だ。

マイノリティーへの配慮ということは大切なことであるが、過度の配慮は、その恩恵を受けられない者にとって、大きな不利益を生む。不公正な競争だ。

関西にある、今ではそこその進学校になったある女子校の話だが、その学校は地元では有名な底辺校だった。ある時、帰国子女枠を大学進学に利用することを思いついたのだ。

一年だけ、英語圏に留学させることによって、生徒に帰国子女枠の資格を獲得させ、本来の学力では合格は無理な有名大学に帰国子女枠を使い送り込んだのだ。

その学校は進学実績をこの手を使って伸ばし、底辺校から進学校への華麗なる変身を遂げたのだ。今もやっているかは定かではないが、たぶん、底上げできたので、その必要もなくなったのではないか。

帰国子女枠は決して完璧じゃない。こんな活用?のされ方もあるのだ。

英語英語とヤケに騒ぐ輩が目立ち始めた気がする。帰国子女枠の制度も、語学偏重にならないように、見直しが必要なのではないか。

それと、アジアやアフリカの留学生にもっと奨学金を出して欲しい。豊かな国になったのに、大学のキャンパスで見かけるのは、そこそこお金持ちになった中国人ばかりだ。