高校生と大学受験、そしてその先にあるものは…

ある高校生のブログを訪れる機会があった。四国地方にあるOと言う私立の進学校に行っているらしい。ほとんど特定できるのだが…。私立の最高峰と呼ばれているを大学を目指して受験勉強をしている高校三年生とのこと。

その子の説明によると、通っている学校は中高一貫校で、ハイレベルな受験教育が売り物らしい。
進学実績は、50%の学生が旧国立大学へ、その他は、関西を中心とした有名私立が多いとのこと。

驚いたのは、中学入学当初から、教員が、部活動を勧めるどころか、なるべくやらない方がいいと、指導するらしい。受験に差し支えるというのがその理由らしい。高校になると、誰も部活をやらないそうだ。教員が旧帝大の出身者で占められているのも、妙に説得力がある。つまり、受験の成功者でなければ、新の受験教育は出来ない、とでも言いたいのだろう。これは、学校を選ぶときに、かなりのチャームポイントになるかもしれない、親御さんにとって。

この学校紹介の記事を読んだとき、教員までも受験一辺倒なのにはビックリしてしまった。進学実績に躍起になっている私立校は、ここまでやるのか、と呆れてしまった。いや、私の方が、現実を知らない、甘い考えなのかもしれない。なんせ、都立の二流高校の出身で、受験勉強に明け暮れるという高校生活の経験が私にはないからだ。ただ、受験勉強と引き替えに、何かを失っていないか、とても心配になった。まあ、ステレオタイプですべての学生を判断することは出来ないとは思うが。ドラゴン桜じゃないが、有名大学入学というプラチナチケットをやるのだから、あとは自分でなんとかしろ、ということだろう。

高等教育機関に身を置いているものとして、入試がある以上、受験勉強は必要なものという認識はあるし、出来る限り優秀な学生を確保したいというのが本音である。その本音のさらに裏には、ただ勉強するだけじゃなく、面白い経験を積んできた、受験勉強にくたびれていない学生を渇望している。面接で、予備校の対策通りの話を、流れるように話されても何の感動もないし、そんな子供だましは、もうご免だ。

大学に入ったら、すべてがうまくいくとでも考えているのだろうか。有名大学は個々人に多くのものを与えてくれるとでも思っているのだろうか。そんな甘いことはないと、入学すればすぐに気がつくと思うが。中には、大学の権威に最後まで寄りかかって、自分を磨かない者もいるし、そんな意識の低い者を、大学の名前だけで、優秀にちがいないと、特別枠で採用したがる会社が未だにあることも問題だ。

大学進学者が減少しているのにも関わらず、大学進学を巡っての競争はかえって激化しているようだ。個性や才能、人との関わり(社会性)を伸ばすことは、大学に入らなければ本格的に開始できないのだろうか。エネルギーのすべてを、大学入試に費やすなら、日本の子供の幼稚化がさらに進みそうな気がする。10年前の学生と比べて、見た目だけ個性的?で、そのくせ精神的に幼稚な学生が増えたと感じているのは、私だけだろうか。