人を信じること(体育 W先生)

ある夏のことだった。夏休み中に登校日があり、嫌でも学校へ行かなくてはならなかった。その登校日、私の体調は最悪だった。休めばいいものを、なぜか、がんばって登校した。

前日まで、徹夜で本を読んだり、冷たい飲み物をがぶ飲みしたりして、気ままに生活していた。そんな不規則な生活を送っていたツケが、その日一気に出て、私はボロボロだった。腹具合が悪く、長時間、蒸し暑い校庭に立ってはいられないと思った。中学生のときも、同じような状況で、ぶっ倒れ、保健室にかつぎ込まれたことがあり、その再現だけは避けたかった。校庭に集合の時間となったが、気持ち悪いので、トイレ(大の方)に入ったまま、ジッとしていた。校舎全体に響くスピーカーの音から、校庭では誰かの話が始まっていることがわかったが、とてもトイレを出る気にはならなかった。

そうこうしていると、トイレの前で話し声が聞こえ、扉が開き、どやどやという足音をさせて、人が入ってくるのがわかった。そして、私の入っている個室の戸をたたき、すぐに出るように命じる先生とおぼしき声がした。私は仕方なく、個室から出た。そこには見慣れない先生と、体育を教わっているW先生が立っていた。見慣れない先生は、私に、「隠れてタバコを吸っていたのではないか」という強い疑いを持っていて、何をしているのか詰問した。私はことの次第を説明したが、その先生は信じようとはしなかった。その時だった。そばにいたW先生がこう言ってくれたのだ。「こいつがうそを言うはずがない」と。私は気持ちが悪く、ボーっとしていたので、何が起こったのか理解できなかった。W先生の一言で、私への詰問は終わり、学年と名前を聞かれたが、放免してもらえた。その後直ちにトイレに駆け込んだの言うまでもない。もし、詰問が続いていたら、汚い話で恐縮だが、たいへんな事態になっていたかもしれない。

しばらくして落ち着きを取り戻し、いま起こったことを検証してみると、W先生が緊急事態から助けてくれたことがやっと理解できた。そして、「こいつがうそを言うはずがない」というW先生の言葉だけが残り、他の嫌な体験は消え失せた。先生が自分を信じてくれたことが嬉しかった。

W先生は生徒の自主性を重んじるタイプだったと思う。体育教師にありがちな、粗暴な振る舞いや、熱血を気取ったところがなかった。私は運動能力に優れていたわけでもなく、目立たない生徒だったので、私のことを担任でもない先生が、知っていたとは思えない。なぜ、W先生は私を信じると言ってくれたのだろうか。いまでもその真意はわからない。でも、私は本当に大切なことをW先生から教わることが出来た。人を信じることの大切さを。例え、相手がうそをついていても、こちらが信じるとハッキリと意思表示することで(つまりは、相手を受け入れることで)、壁が崩れ、そこから本当の話が始まり、真に相手を理解できるようになるということを。相手を信じて、裏切られたとしても、こちらには何のやましさもないから、胸を張っていられる。今は、こう解釈しているが、当時の私は「俺はうそはついていなぞ」という思いの方が強かった。

担任のT先生からこの件に関して少しお小言を頂戴したが、W先生の言葉が嬉しかったので、全然気にはならなかった。蒸し暑い夏の日の、下系だが、ちょっといい話だと思う