好きだった女子(その2)

私は受験に完敗し、浪人することとなった。当時、水道橋にあった、ある予備校に通うことにした。そこは高校の担任だったS先生と関係のある予備校だった。もし、江戸高でS先生に出会わなかったら、私は今とは違った人生を歩んでいたと思う。それほど、私に多くの影響を与えてくれた先生だった。今の私は、S先生のいた江戸高に進学したことを本当に良かったと思っている。

浪人中は受験勉強に集中できた。今思えば、高校在学中は、受験勉強のやり方がよくわかっていなかった。適切な指導者に頼るでもなく、塾や予備校にも行かず自己流でやっていた。これでは受験勉強という特殊な勉強を乗り切れるはずがない。つまり無駄な努力をしていたのだ。この悪い癖は、中学生の頃に身に付いてしまったと思う。中学3年になって自己流で勉強を始めたところ、本当に平凡だった私の成績は急激に伸びた。たぶん、この勉強に関する体験で、単純な中学生は、自分の勉強法と学力に誤った自信を持つことになってしまったと思う。江戸高のクラスメートで国立、公立の現役合格を果たした連中は、みんな予備校に通っていた。要領が良ければ、予備校は不要かもしれないが、受験勉強に精通した高校生がそんなにいるとは思えない。不安ならば、予備校を試すことも必要と考える。

浪人して感じたことは、受験勉強は特殊なもので、自分は決して好きになれないということだった。受験勉強の定義は個人によって異なるし、その有効性に関してはいろいろな意見があると思う。受験勉強を肯定的に捉えられるほど私に能力(学力)がなかったということかもしれない。とにかく、受験勉強嫌いの私は、一年間の浪人の後、希望の大学になんとか合格することが出来た。

大学生になった私は、好きだった女の子の家に電話をかけ、交際を申し込もうとした。しかし、軽くあしらわれてしまった。たぶん、あの男子との交際が順調で、幸せだったのだろう。私からの電話は迷惑以外の何ものでもなかったと思う。このときは、さすがにがっくりきた。勉強に集中して、なんとか進路を切り開いてから、好きな女子と交際するという自己中心的な計画が打ち砕かれたのだ。いや、計画していた訳でなく、やせ我慢と、ことの流れでそうなったという方が正しい。要するに、「ごめんなさい、あなたにはまったく興味がないの」、ということだった。

その後、一度だけ、彼女を見かけたときがあったが、彼女は変わっていた。出来れば彼女とはこれから先、会うことなく過ごしたい。私にとって、思い出の中で輝いている彼女は、今を生きている彼女とはまったく別人だから。

こうして、身勝手な恋愛計画は早々と終わりを告げ、次には、大学やその周辺に目を向けることとなる。当時、彼女がほしくて一生懸命だった自分は、高校生の頃とは随分と変わったものだと思う、たった一年しか経っていないのに。