江戸高の低迷

入学した江戸高は、勉学に関して、低迷状態にあった。現役の江戸高生には申し訳ないが、現在は完全に没落したと感じている卒業生が多いと思う。もうこれ以上、落ちるのは止めてくれとみんな願っているはずだ。私の入学当時、学校群制度開始以前と比べて、江戸校の進学実績はまったく振るわず、浪人するのが当たり前のような風潮があった。なにせ、大学受験に必要な授業が、3年間のうちにすべて終わらないといった教科もあった。

こう書くと、先生が怠慢だったように聞こえるが、実は、学校群制度に伴って実施された都立高校版ゆとり教育が原因だった。誰もが不思議に思うはずであるが、優秀な進学実績を上げていた時代の教員が多数いたのにも関わらず、なぜそんなに進学実績が落ち込んだのだろう。当時、受験教育はすべて悪で、排除すべきという風潮があり、その問題点の改善?に執着した指導層の圧力で、受験教育に熱心な教員は腐ってしまったのだ。具体的には、補習授業の中止と学内における業者テストの追放だった。私の担任だったS先生も、補習に関係した件で、処罰されたそうだ。学生のために良かれと思ってしたことが、悪とされたときのショックは大きかったに違いない。それに関する著作が出版されたという記憶もある(都立竹早高校の理科教師が書いた本だと思うが、今ひとつ記憶が曖昧)。

さらに、教師だけの問題でなく、我々生徒にも原因の一端があったと思う。入学生の学力の低下である。学校群制度が導入されたことによって、優秀な生徒は私立校や国立校に流れる傾向がすでに顕著になっていたらしい。そういえば、私の通っていた中学で、学年トップのN君は超難関私立大付属高校に進んだ。N君とトップ争いをしていたO君は、確か国立高校が第一志望だった。彼らから2~3人下の成績だった私は、今では進学校になっている、ある私立高校を滑り止めで受けたが、都立高校に進学することしか頭になかった。入学して気付いたのだが、大学進学だけを考えるのだったら、江戸高より、滑り止めにした私立校に進学した方がずっと良かった。我が家のように、教育に疎い家庭では、都立高校神話がまだ生きていた。今、冷静に考えると、このトップ争いをしていた二人と私の間には、順位以上の大きな学力差があったと思う。私の高校進学時点で、都立高校はダントツに優秀な生徒を引きつける魅力(あるいは伝統)がなかったのだ。付け加えておくと、N君とO君が、誰もが最高だと認める大学に進んだことは、言うまでもない。

当時は、自分の周りで起きていることがすべてで、教育がどうの、学校群制度がこうの、という議論は高校生には無縁だった。ああ、なんとのんきなことか。江戸高生にとっては、受験勉強より重大な関心事が、それこそ山ほどあったのだ。後で泣きをみるとも知らずに。