受験、受験、受験

2月に娘の高校受験があった。
頑固な性格で、絶対に公立がいいと言って聞かず、ハラハラさせられたが、
何とかある都立高校に行き先が決まった。上の娘は、私立の女子校に通っているので、
公立と私立の違いを経験することになるだろう。

そんなわけで、久しぶりに、高校のこと、受験のことに接する機会が多かった。
サイト巡りをしていると、神奈川が発信元で、中学受験母たちで異様に盛り上がっている
ところがあった。その流れで、本まで出版しているのだらか、驚きだ。
NやYやSに通塾させ、子供と一緒になって、たいへんな苦労をされている。

色々な見方をする人がいるが、受験母たちは、子供に対する愛情が人一倍強いのかもしれない。
反対に、突きなはすのも愛情かもしれない。しかし、社会、教育の仕組みが、子供の早熟を
求めている。その結果として、中学受験、さらに、いわゆる「お受験」と呼ばれる幼稚園、
小学校入試がこんなにも盛んになった。子供によって、その発達スピードは大きく違う。それを、
同じ規格に押し込むのだから、とても心配だ。これは私見だが、有名進学塾に通っている
8割以上の子供は、実際は、勉強についていけないのではないだろうか。
塾としては、早熟で優秀な残り2割が結果を出せば、十分商売になるだろう。

中学の後半から、勉強を意識させ、高校で集中してやれば、才能ある子供は十分な成功を
手にすることが可能と思うが、これは空論か。40年以上も前の例ではあるが、
かっての都立高校はこれを実現していた。単に勉強だけでなく、個性豊かな、様々な才能
ある生徒が都立高校に集まってきたらしい。私は、都立高校がつぶれていく最中に入学したので、
なんとも言えないが。この辺の経緯は、最近読んだ「むかし<都立高校>があった」(奥 武則著)
に詳しい。

今、一番心配なのは、ごく限られたコロニーで中高を過ごした人間だけが、良い教育を
受けられる社会になりつつあることだ。この状況はさらに加速しそうな気配である。
偏った価値観により社会の中枢が支配されるのではないかと、危惧している。