高校入学

私が東京都立江戸川高等学校(江戸高)に入学したのは、もう30年以上も前のことであるが、高校受験と入学当初の思い出は、全くと言っていいほどない。

たぶん、受験にそう苦労した思い出がないためだと思う。

誤解なきように説明すると、難関校を目指さず、余裕を持って入学できる高校を選んだため、記憶に残るほどのインパクトがなかったのだ。

中学3年時の担任だったK先生は、悪名高い都立高校学校群制度下の64群を受けるように勧めてくれた。

かすかに記憶があるのだが、K先生は、「64群なら楽だから」と言ったように記憶している。“楽だから”という言葉が今も耳に残っている。

私も、その時はそれで良いと考えたのだと思う。

なぜ、その上のクラスの61群を受けるように勧めてくれなかったのだろうか。

3年次になって、私の成績は急上昇した。それまで、鳴かず飛ばずの状態だったのが、比較的薄い英語と数学の参考書を各一冊完全に終わらせた頃から、学年で5番以内に入るようになった。

この成績からすると61群を受けるのが普通なのであるが、なぜか、上を目指して挑戦しようという気は起きなかった。

K先生も急上昇した成績を目安にするのは危ないと思ったのかもしれない。

私の家は、職人の家で、教育に熱を上げることはなかった。

また、母が再婚であったことから、勉強にそうお金をかけられないという遠慮があったのかもしれない。

とにかく、学費の安い都立高校に入ることしか考えていなかった。

現在、塾通いは一般的なことであるが、当時、私の住んでいた地域では一部の優秀な子供で、かつ親に経済力のある場合に限られていたと思う。

小学校では、中学受験をする子供もいたが、ごく少数だった(学年トップの子は国立を狙った)。

そんな地域だったが、同級生の成績上位者はほとんど全員塾に通っており、通塾していないのは私ぐらいのものだった。

しかし、その事実を知ったのは、高校受験が終わってからだった。


私や私の家族は受験や勉強法に疎かった。私自身も、自分で勉強はするが、さらに上を目指して深めようという気がなかったのだ。

だからこそ、64群を受験するという、常識的な結論になったのかもしれない。

合格発表後、学校に帰ってきて、級友と雑談をしていたとき、数学のT先生が通りかかり、私に合否を尋ねた。私は64群に合格したことを先生に告げた。

たぶん、先生からの祝福の言葉を期待していたと思う。

しかし、先生の口から出た言葉は、「61群を受けたものと思っていた」という意外なものであった。

今でも、なぜか、その時のことをはっきりと思い出すことができる。先生の少し驚いたような表情が私には理解できなかった。

だからこそ、中学生の私は少しがっかりしたような、複雑な気持ちだったのかもしれない。

もし、私を取り巻く環境が違っていたら、別の選択をしていたと思う。

この選択が私の人生において重大な影響を与えることになるとは、中学生の私には知る由もなかった。