気が付いたら、塾だらけ

ノーベル化学賞を受賞した野依さんが、小学生の塾(進学塾のことらしい)通いをやめさせたほうがいい、と教育審議委員会?で述べたことについて、以前このブログで書いた。

最近、気が付いたのだが、家のまわりに塾が乱立している。道を挟んで向かい合って新規オープンした塾もあった。需要があるからだ。70年代に次ぐ、進学塾ブーム、中学受験ブームらしい。

野依さんは実体験から何かを(科学では自然界に存在する法則)自分自身で発見することを重視しており、進学塾での知識の詰め込みが、この自分自身で発見するという創造的な体験の妨げになると考えているようだ。

野依さんが心配していることは、物事にじっくり取り組む過程で、いろいろな発見があるということを子供たちに体験させる場がなくなり、代わって、完成されたきれいな知識を、効率よく習得するとうい安直な教育がもてはやされている点ではないだろうか。多くの可能性を持つ子供が、受験勉強にその知力の大部分を使ってしまうことは、創造性を伸ばすという観点からは、確かに問題があるかもしれない。

現実的には、本に書かれた、完成された知識をより多く知っていることが、受験では圧倒的に有利だから、進学塾の教育がそれに特化したものになるのは当たり前のことだと思う。それを批判されては、塾の経営者は困ってしまうだろう。国の根幹をなす教育が、社会の特定の集団や私塾の思惑に左右されるようでは、この国の未来は暗いと思う。

突き詰めると、初等教育からの受験勉強を経て、有名進学校に進むことを、どう考えるか、ということになるが、野依さんは、この過程を経て大学に進学してくる学生に厳しい評価を下していると思う、創造性の点で。たぶん、長年にわたる大学、大学院での教育の経験から、そう判断しているのだろう。独創性を重んじる純粋科学の分野の先生らしい知力に対する厳しさを感じる。この現代のエリートコースをたどる学生が増加していることは確かだ。だからこそ危機感を持っているのかもしれない。同じ教育にたずさわる者として、私も同じ様な感想を持っている。

いい学校、いい会社、そしていい人生。これを得るためには、初等教育からの受験勉強を経て、有名進学校に進むことだが本当に必要なのだろうか?私にはそれが自分たちにとって都合のいい人たちによって仕組まれたことにしか思えないのだが。その代償として、野依さんが指摘している知力の変質(創造性の欠如)が生じているのではないだろうか。