箱根登山鉄道、30Rの鉄橋を見物する

愛してやまない、箱根登山鉄道、であるが、冬の風物詩としては、雪景色、なのであるが、なかなかそのタイミングに合わせて出かけることは難しい。
 
で、以前から、何とか全景が見たいと考えていた、中ノ沢橋梁、を、それまで覆い隠した草木が冬枯れで取り払われたのをいいことに、じっくり観察しようと出かけた。
 
大平台で登山鉄道を降りて、1号線沿いに歩き、中ノ沢橋梁がある地点に向かった。
 
中ノ沢橋梁は、箱根登山鉄道名物の急カーブ上に設置された鉄橋で、そのカーブの半径は30R(つまり30メーター)という、極めて急なもので、普通の鉄道線では考えられない、急カーブ、である。
 
箱根登山鉄道では、自然に配慮したかたちで線路が敷設されているので、急カーブが多く、それに合わせるように、電車の全長も短く作られている。
 
一般鉄道の車両の全長は20メーターを超えているが、それでは、急カーブの通過は困難で、そのために、登山鉄道の車両は14メーターほどに抑えられている。
 
急カーブを水を撒きながら車輪と線路の摩擦をなるべく少なくして通過することで、線路の寿命を持たせている。
 
この対策を施さなかった開業初期には、線路が摩耗し、頻繁に交換する必要があったらしい。
 
さて、前置きはこれくらいにして、中ノ沢橋梁、の全景写真を見ていただきたい。
 
イメージ 1
 
冬枯れとはいっても、太い樹木の幹が邪魔して、ちょっと見にくいのだが、石積みの2つの橋脚と、それに載った箱型の橋げたが特徴の、いわゆるガーター橋である。
 
写真の下の舗装道路は1号線で、地形に合わせて、急カーブを描いており、それと同じく、山側を走る登山鉄道も急カーブを描くこととなる、30Rという。
 
下の写真は、中ノ沢橋梁、を通過中の、電車だが、橋の中央付近で、くの字に折れ曲がっていることが分かるだろう。
 
イメージ 2
 
写真の電車は、改造に次ぐ改造は受けているとはいえ、モハ2形(109号と110号)の2両編成で、その誕生は昭和2年(1927年)というから、90年近い車歴となる。
 
もう1枚、さらに、橋に寄った写真を以下に示すが、これは、モハ1形と2形の3両編成である。
 
中間の車両に両脇の車両が折れ曲がるようにくっ付いているのが分かると思うが、名物車掌の落合さんは、ここを通過する際に、運転台の窓から手を振り、一番前方の車両に乗ったお客さんに、彼の顔がしっかり見えるほど急カーブであることをアピールしている。
 
サービス精神旺盛な車掌さんである。
 
そんなわけで、ここを通過するときに、彼が乗務している電車であることが、一目でわかるのである。
 
イメージ 3
 
電車は、走らすほど、調子が良くなる、という話を聞いたことがあるが、こと箱根登山鉄道に関しては、それを実際に体現している訳で、丁寧に作ったものは、長寿命、だということの証ともいえる。
 
箱根登山鉄道の電車は、製造当初から、一流好みの日本人らくし、当時の最新鋭の機器を装備し、モーターを1車両につき4個も装備するという具合に(通常は2個)、強力な馬力を持つ、登坂能力の極めて高い車両だった。
 
この中ノ沢橋梁の橋脚の石積みは、その表面が苔むしていて、自然の美、を強く感じさせてくれて、私の大好きな鉄橋である。
 
望遠で寄った写真もたくさん撮ってあるが、なかなかの質感である。
 
その苔の中には、緩歩動物のクマムシ、などがいるのだろう、きっと。
 
この日は、急カーブを通過する車にヒヤヒヤしながら、小一時間ほど鑑賞と撮影をして、宮ノ下まで歩き、帰途に就いた。
 
と、ここで終わる予定だったが、乗り換えのために、箱根湯本駅、でブラブラしていると、なんと名物車掌の落合さんが乗務する電車がやってきた。
 
彼の車掌としての乗務は、この1月で終了し、運転の方へ移行するため、長期研修に入るらしいが、あの名調子の沿線ガイド、アナウンス、が聞けなくなるのは、少しさびしい気もする。
 
色々な職種を経験して、将来の中核社員となっていくのだろうが、彼の目指す箱根登山鉄道の実現という志は、いつまでも大切にしてほしい。
 
今回の鉄橋見物の記事は、これにておしまい。