なぜ、こういう当たり前の司法判断が、原発、には適用されないのか

 再三このブログでも取り上げているが、福島原発事故の責任が全く追及されず、原発利権維持と利益追求のために、政官業がグルとなって国民に押しつけてきた原発安全神話の犯罪性は、検証されるどころか、アベによって、さらに推進されようとしている。
 
犯罪者集団のやりたい放題である、ニッポンは。
 
裁判所も検察も、日本の司法は、自民党核武装のために推進してきた、原子力開発という国策を、強烈に支持し続けている、法律と憲法に定められた、国民の生命財産の保証、基本的人権の保障さえも無視して。
 
それとは対照的に、司法は、津波に対する避難誘導の不手際から、命を失った幼稚園児に対する園側の責任については、当然ではあるが、厳しい判断を下した。
 
司法の原発事故被害者に対するあまりに冷酷な仕打ちは、主権者国民を国家に従属させようとするものであり、これは、民主主義の根幹に関わる由々しき事態である。
 
日本の司法は、常に、国家主義、の手先であって、それはこの国の体制が、民主主義、ではないと言うことの証左ではなかろうか。
 
そのインチキ民主主義に、天皇国家主義でダメを押そうとするのが、アベ、なのである。
 
引用、ここから。


「一刻も早く親元に」元園長の証言、判決で一蹴

読売新聞 9月17日(火)14時3分配信
 行く必要もない海側にわざわざ連れ出され、幼い命は奪われたのではないか――。

 あの日から2年半、死亡した園児4人の両親のそんな疑念に、仙台地裁は17日、全面勝訴の判決で応えた。東日本大震災の直後、高台の幼稚園から津波が迫る低地へ向かった送迎バス。斉木教朗(のりお)裁判長は「情報収集を怠った結果の被災」と認定した。園の判断に疑問を抱き続け、バスの走行ルートを自力で調べた遺族たち。我が子の遺影を手に「これが心の区切りになれば」と語った。

 判決言い渡し後、原告の一人で、長女の愛梨ちゃん(当時6歳)を亡くした佐藤美香さん(38)は法廷を出た。廊下で「勝った」と言ったとたん、ハンカチで顔を覆い、泣き崩れた。

 判決によると、日和(ひより)幼稚園(宮城県石巻市)には元々、海側へ向かう第2便と、内陸方面の第3便の送迎ルートがあった。しかし事故当時、両便の園児は同じバスに乗り、海側に住む7人が降ろされた後、残った第3便の園児5人が死亡した。震災前から現場の判断で、2便と3便の一本化が始まっていた。しかし、保護者に対する説明はなかった。

 これとは別に、園児18人を乗せて海側に向かった送迎バスは、運転手がラジオで津波警報が出ていることを聞き、園へ引き返して無事だった。「園の対応の悪さが引き起こした人災では」。遺族たちは園側への不信感を募らせていった。

 園は震災直後から4度、説明会を開いた。佐藤さんは「説明のたびに食い違う所があった」と話す。例えば、バスが一時的に避難していた海側の門脇小学校から、なぜ歩いて避難させなかったか――。園側は、バスに乗せたまま園に戻そうとして事故が起きていた。

 園側は説明会でいったん、「園から小学校へ通じる階段には、墓などの倒壊物があり、危険で通行できなかった」と話したが、後に「徒歩で戻るよりバスで戻った方が安全で速いから」と答えた。門脇小の児童たちは、階段を歩いて日和山に避難し、無事だった。

 「自分たちで調べなければ、真実は分からない」。遺族は、現場周辺で聞き込みを進め、送迎バスが通ったルートを自力で特定、訴訟に臨んだ。

 法廷で、バスを出発させた理由について「みぞれが降る中、不安におびえている園児を一刻も早く親元に帰したかった」などと語った元園長。判決は「誤った判断を正当化する理由にならない」と一蹴した。
最終更新:9月17日(火)14時3分