真実の声を聞け、大本営発表には耳をふさぎ

原子力ムラとは決別した原子力技術者や科学者、心ある工学者、は東電が公開する僅かなデータから、地震によって原子炉が破壊され、それが引き金となって、一気に、炉心溶融、に進んだ可能性を指摘している。
 
ところが、原発推進派には好都合なことに、あまりの高線量で、現場を確認することが困難であり、今後も、危険を理由に、地震による破壊、を検証することは出来ないのである。
 
ずっと、ウソ、をつき続けられるのである、津波が理由で原子炉が壊れたと。
 
以下に、原発作業員で、当時、福島第一原発で作業に当たっていた方が、その当時の様子を語った記事を引用する。
 
記事の内容は、地震による原子炉の破壊を明確に示すものであり、東電と政府がこれまでウソを重ねて、原発利権を死守し、福島という行政区を失わないがために、住民を被曝の危険にさらし続ける実態が浮き彫りにされる。
 
地震で原子炉が壊れたことを認めることは、すべての原子炉の再稼働が不可能になることであり、国や原発利権は、絶対に認めることは出来ないのだ、被曝が原因でガン死が増加しようが、子供に奇形が生じようが。
 
悪魔のような国家である、ニッポン、という核大国アメリカの植民国家は。
 
それでも、東京オリンピック、というお祭り騒ぎをやるのだ、震災復興に弾みをつけるという大うそをついて。
 
福島、完全に、東京の生け贄、である。
 
引用、ここから。
 
元記事へのリンク:http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22


 
 

【必読記事】”想定外の津波”襲来前に、地震動によりぶっ壊れていた福島第1原発 ~元作業員の「遺言」~

2013年09月15日 | Weblog
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故・木下聡氏



今回取り上げたのは、福島第1原発事故が起きた際、1号機にいた元作業員の故・木下聡氏が「そこで何が起きていたのか」について、事実上、”緘口令”が敷かれている事実を赤裸々に語った貴重なコメント内容を記した神戸新聞記事である。

「2回目の揺れはすごく、昔のアンカーボルトを使っている配管は揺すられると隙間ができ、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた」
「重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのまま。どんどん配管を増やし、防火剤を塗りつけるから、設備の重量は設計基準を大幅に超えていた」
「建屋のコンクリートはずぶずぶでドライバーを当てると白い粉になった。鉄筋をモルタルで塗り固めるときも竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ」
「使用済み燃料プールか非常用復水器が壊れたことにより、大量の水がゴーと襲ってきたと4階にいた人たちが言っていた」
「正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器も、訓練もしていなかった当直の社員が使い方を知らなかったって言うんだから恐ろしい話」

これらのコメント内容より、東電・政府・官僚・大手マスゴミらが一貫して「全電源喪失地震の揺れは無関係」としていることは、実際にはあり得ない”大嘘”であることが如実にわかるであろう。
即ち、福1はやはり”想定外の津波”襲来前に、地震動により致命的ダメージを受けて未曾有の大事故を引き起こしたということである。
何故、東電・政府・官僚・大手マスゴミら”原発利権ムラの”連中が、そんな”大嘘”をつく必要があるのか?
それは、フクシマ原発が”想定外の津波”によって運悪く未曾有の事故を引き起こす結果となったことにしなければ、日本全国にある54基の原発がすべて永遠に「稼動停止」に追い込まれるからである。
それ故、「地震動による原発破壊」という「不都合な真実」が頑なに否定・封殺され、これを追及すること自体”タブー”とされているのである。
勇気ある証言をおこなった故・木下聡氏に哀悼の意を表すると共に、今後、これに続いて”事の真相”が明かされる証言と報道がなされることを期待したいと感じる次第である。
 
(転載開始)
◆東電のずさん体制糾弾 「現場体験、伝えなくては」
 2013/9/11 08:00 神戸新聞
 
福島第1原発事故が起きたとき、1号機にいた元作業員の木下聡さん(65)が亡くなった。「余命8カ月」と宣告されていた。「地震の影響と向き合わない東京電力は、何も変わっていない。私の経験をもっと伝えなくては」。そう語っていたが、帰らぬ人になった。
地震直後、1号機の冷却装置「非常用復水器」は作動せず、メルトダウンの主因の一つとされる。木下さんは「現場にいた私たちに明確な指示があれば動かせた」と指摘。東電などの調査で、当直の社員が使い方を知らなかったことが判明しており「情けない。結局、すべてがメーカー任せだった」と憤った。
稼働40年になる1号機の老朽化にも言及した。「重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのまま。どんどん配管を増やし、防火剤を塗りつけるから、設備の重量は設計基準を大幅に超えていた」「建屋のコンクリートはずぶずぶでドライバーを当てると白い粉になった。鉄筋をモルタルで塗り固めるときも竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった」
福島第1原発の全電源喪失地震の関係について、事故後に設置された政府、東京電力の両事故調査委員会は「無関係」と否定する。しかし、木下さんは「内部はすさまじい破壊ぶりだった」と証言した。「解析が必要」と結論づけた民間事故調で委員長を務めた北沢宏一・前科学技術振興機構理事長は「地震の影響があり得るという前提で調査を継続しないと、国民の信頼は得られない」と指摘する。
木下さんは原発事故の1カ月後、避難先の青森県から呼び戻され、1~4号機の電源車のケーブル敷設作業に従事した。
木下さんの積算被ばく線量は40年間で96ミリシーベルト。このうち38ミリシーベルトは事故後の復旧作業で被ばくしていた。
がんとの因果関係について「私はたばこを吸うし、100ミリシーベルト以下なら問題はない」と否定。肺線維症は、電気配線に粉末状のタルクを塗る作業でアスベストを吸引したのではないかと疑っていた。
ただ、木下さんを支援していた福島県の労働関係者は「実際は長年、被ばく線量を低くごまかすため若い作業員の線量計を借りて現場に入った、と本人は言っていた。放射能と発がんの関係は否定できないのではないか」と話す。
(木村信行)
 
◆福島第一元作業員の「遺言」詳報 東電、信用できない
 2013/9/13 16:13 神戸新聞
福島第一原発事故が起きたとき、1号機内部にいて、今年8月にがんで亡くなった元作業員の木下聡さん(65)の証言は次の通り。
‐事故当時の様子は
あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。
最初の揺れはそれほどでもなかった。だが2回目はすごかった。床にはいつくばった。
配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。落ちてくるなんてもんじゃない。当たらなかったのが不思議。
4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。
皆で集合して、1号機から脱出した。地震が起きてどれぐらいだったかな。必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな。
途中の様子も恐ろしかった。タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った。沖のテトラポットがむきだしになっていた。敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。
正門を出た。いつもなら浜側の道を通るが、陥没していたから、山側の道を行った。あのまま浜の道を通っていたら、津波にやられとった。
東電は「全電源喪失地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。設計基準を大幅に超えていたはずだ。
建屋のコンクリートも相当劣化していた。インパクトドライバーを当てると分かる。ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白。鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。

‐東電への思いは
ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。あれだけ揺れて「問題なし」だなんて。
事故後の対応は全てメーカー任せだった。正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話だ。現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。
3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。今後も事故は起きるだろう。
人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。のんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持てなくなった。
だけど、簡単には死ねない。納得できない。俺は俺で、じたばたして生きてみせる。
(聞き手・木村信行)

(転載終了)