朝日新聞に見る、経済格差による教育格差の完全容認

新聞の折り込み広告を捨てようと整理していたら、朝日進学情報、というタイトルが目に入った。
 
何かと目を凝らしてよく読んでみると、朝日新聞が、受験情報を、毎月一回、情報紙として発行しているものらしい。
 
普段なら直ちにポイなのだが、今回、目にとまったのは、その一面のタイトルが、公立中高一貫校 大学受験で高まる存在感、というものだからだ。
 
公立中高一貫校の問題点は、このブログでたびたび取り上げてきたが、私自身としては、中学の課程を含むこともあり、公教育の使命である教育の機会均等を完全に無視し、経済格差による教育格差を露骨に利用することで、大学進学実績をよく見せようとする、おおよそ教育とはかけ離れた、予備校まがいの学校経営方針に大いに疑問を呈してきた。
 
さて、今回の朝日新聞の記事であるが、トップで、首都圏にある公立中高一貫校が、ごく短期間に、いかに東大を始めとする難関大学合格者を出したかを一覧表に示し、すばらしい学校である、と褒めちぎる内容に終始していた。
 
私に言わせれば当然の結果なのである、本来、大学受験向きの子供をかき集めたのであるから、そこそこの進学実績が出て当たり前であって、さらに、高校では予備校で補習することで、合格の確率を高めているからだ。
 
この提灯記事を読んで、これは問題だ、これら公立中高一貫校に入学には、通塾による受験対策、特殊訓練、が必要不可欠になってしまっている状況を無視するのか、と腹立たしく思ったのだ。
 
で、1ページめくったところ、そこには、これら公立中高一貫校の入学には塾での特殊訓練が必要であることを、ご丁寧に、学校ごとに、一覧表として示されていた。
 
中には通塾率が150%を超えている学校もあったが、それは、複数の塾を利用しているケースも含まれているからであり、富裕層は、科目別に、また、目的別に、塾を使い分ける、模試を受けに行く、というまことに贅沢な選択ができるからなのであり、当然、それには莫大な教育費が必要なのである。
 
2ページ目の記事に、本来なら、教育の機会均等に配慮すべき公教育において、経済格差による教育格差を露骨に利用したこれら進学予備門を批判する記事が登場するのか、と期待したが、どこにもそんな記述はなく、結論として、公立中高一貫校の入学には、受験対策が必要です、という何の批判もない締めくくりであったことに、ああ、やっぱいり朝日はダメだ、という思いを新たにした。
 
で、面白いのは、この情報紙でも、これら中高一貫校がその宣伝で必ず使っている、国際的に活躍できるエリートを育てる教育を実践する、というキャッチコピーを、無批判に、そのまま載せていた。
 
要するに、難関大学にはいることが目的で、それを達成できれば、ニッポン社会では、かなりの確率で社会のエリートになれる、という、明治時代から延々と続く古い思想、社会常識、社会通念、に寄りかかった、暢気な学歴崇拝、がそのエリート教育の根底にあるのだ。
 
つまり、ニッポンの教育界におけるエリート教育とは、国際化などと耳障りのいいことを言い出したが、実態は、旧態然とした学歴信仰が支配していて、だからこそ、東大、に合格することがこれら中高一貫校の第一の目標なのである。
 
東大合格者を出すことを、世界に通じる、国際感覚を養うエリート教育、と考えているのだ。
 
こんな学歴信仰、いや東大信仰では、盲目的にエリート扱いされてきた東大卒業者によってメチャクチャにされ、かつ、その数々の犯罪行為に対して、誰も責任を取らないという異常な社会が成立してしまっている現状を反省する素振りもない。
 
当然なのである、自分たちに都合のいいように社会を動かしているのが東大卒業者であり、自己批判、を決してしないのがその特質だからだ。
 
子供を東大合格というエセエリート教育に追い込み、エセエリート大学に入学させ、エセエリートに仕立て上げ、利権と私欲を今後も死守するという、我欲、しか私には見出せないのだ。
 
いつの時代も、経済的に余裕があり、目先の効く少数の集団によって日本の教育は変質させられ、彼らの都合に引きずり回され、結局、大多数の、普通の人、が損をすというのが、この腐りきったニッポン社会の教育の歴史なのである。
 
こういう記事に対しては、必ず、あの有名人が、公立中高一貫校を賛美するコメントを、その戦果と共に書き込むはずであるから、こうご期待と、言っておこう。ただし、このブログは、真っ当なブログ運営者のみにコメントを許可しているから、削除される運命ではあるが。