売国勢力の罠にはまらず自主独立勢力を支援する(転載記事)

植草一秀氏のブログから全文を転載する。
 
私が、拙い知識で吼えるより、植草氏の冷静な文章に、じっくり目を通していただいた方がよいと考えた(笑)。
 
植草氏の言説は、ニッポン社会の戦後のあり方が、いかなる策謀で決定されたかを、簡明に解説しているが、決して目新しいものでなく、私も自身のブログで繰り返し訴えてきたことである。
 
重大な戦争責任を持つ者が、戦争犯罪人が、命惜しさに、そして、数々の悪行によって得た過去の既得権を確保し続けるために、米国のポチ、となったことが、この国の悲劇の始まりなのである。
 
それを米国諜報機関(CIA)の指導の下、一般国民に悟られないように、愚民化政策を採り続けてきたのが、戦後日本の政治だったと私は考える。
 
教育レベルが高い、と優越感を刺激することで一般国民に錯覚させ、その実、国家管理と対米隷属に都合のいい人間を、選択し、育てる教育を行ってきたのが、戦後教育の実態なのだ。
 
受験競争に心を奪われ、学ぶ意味、自分を取り巻く社会について、思考を巡らさないように仕向けるという、巧妙な仕掛けがニッポンの教育だ。
 
そして、高等教育の場ほど、学歴社会の頂点に行くほど、対米隷属、が露骨となり、そこに所属する者は、常に、米国の権威者?にほめてもらうことを目標とする、まさに、精神的な奴隷、に成り下がっている。
 
冷静になって考えて欲しい、いま、自民党で目立つ存在のルーツを辿ると、すべてが、敗戦時に戦争犯罪人として処理されるべき人間の末裔であり、米国への隷属と引き替えに、身分を保障された者達ばかりである。
 
国民を公然と裏切った、極悪人、ではないのか。
 
そして、その中心人物の孫が、驚くべきことに、最高権力者、にのし上がっているニッポンという極東の一地域は、果たして、国民の人権が保障されている近代国家と呼べるのか、疑問でならない、まことに恥ずかしい国家?米国植民地?である。
 
 
転載、ここから。
 


売国勢力の罠にはまらず自主独立勢力を支援する

私たちは『戦後史の正体』(創元社)を読み、「戦後史の正体」を正しく知らなければならない。

戦後の日本のなかにも、日本の自主独立を重んじ、日本の尊厳を守ろうとしたリーダーが少なからず存在した。

しかし、戦勝国米国は日本の自主独立を許さなかった。

日本を属国、実質植民地として支配し続けようとした。

このときの日本人の対応は二つに分かれる。

支配者である米国にひざまずいて、米国に忠誠を誓うことにより日本国内での地位を確保しようとする者と、自主独立の気概と自尊心をもって、支配者米国に対しても言うべきことを言い、日本の自主独立と尊厳を守るために行動する者である。

米国はもちろん、米国にひざまずく者を重用し、米国にものを言う者を排除しようとしてきた。

日本国民が一丸となって、自主独立と日本の尊厳を守るために動いたならば歴史は異なるものになっただろう。

しかし、残念ながら、日本の戦後史においては、米国にひざまずく者が主要な地位を占め続けた。
 
孫崎亨氏の著書『戦後史の正体』のなかで、私たち日本国民が銘記しておくべき史実のひとつが石橋湛山元首相の事例である。

日本が敗戦後の経済的困難な時期にあったGHQによる占領時代、国家予算の3割が米軍の経費にあてられていた。

第一次吉田内閣において、GHQが米軍駐留費を増額したことに対して石橋湛山大蔵大臣は、マッカーサーの側近に書簡を送る。

「貴司令部においては22年度[1947年度]終戦処理費[米軍駐留費]を、さらに増額しようという議論がされていると伝え聞いている。インフレが危機的事態にたちいることは避けられない。そうした事態になれば私は大蔵大臣としての職務をまっとうすることはとうてい不可能である」

この石橋湛山蔵相の主張があり、米国は終戦処理費[米軍駐留費]を2割削減した。

戦勝国米国に勇気ある要求をした石橋は国民から“心臓大臣”と呼ばれるようになったが、米国から警戒され、1947年の衆院選挙での当選直後に公職追放された。

糸を引いたのは対米隷属の父吉田茂首相であったと考えられる。
 
対米隷属の姿勢を貫くことによって国内での地位を固めたのが吉田茂であり、日本の尊厳と日本の自主独立のために節を曲げることなく、主張を貫いたのが石橋湛山である。

石橋湛山公職追放が解かれて、ついに1956年に内閣総理大臣に就任した。

石橋首相の誕生を誰よりも警戒したのが米国である。

拙著『日本の独立』(飛鳥新社)から、一部を転載する。

石橋湛山首相は首相就任に際して「自主外交の確立」を掲げ、対米隷属の修正を目標に定めた。

米国にもものを言い、中国との経済的関係強化も目標に定めた。米国は有能で米国に隷属しない石橋首相を強く警戒した。鳩山首相退陣後の自民党総裁選で米国は岸信介政権誕生を期待したが、実際に首相に就任したのは石橋氏だった。

春名氏は米国務省北東アジア部長のパーソンズ氏が「ラッキーなら石橋は長続きしない」と述べたことを示す英国外交文書を紹介するが、この言葉通りに石橋政権は2ヵ月の短命に終わったのである。

石橋氏は急性肺炎に罹患し、国政に空白を生むことを回避するために辞職の道を選択した。

細菌兵器による攻撃を受けたのではないかとさえ思われるような事態の急変だった。

石橋氏辞任を受けて米国が待望した岸内閣が誕生した。この岸内閣が1960年の安保改定を強行実施したのである。

そして、米国外交文書は米CIAが岸内閣の選挙支援で秘密資金提供を行ったことを明らかにしたのである。」

石橋湛山の側近として1956年の自民党総裁選で石橋政権誕生に尽力したのが石田博英衆議院議員である。

ちなみに前衆議院議員三宅雪子氏はこの石田博英議員の孫にあたる。
 
再び孫崎氏の『戦後史の正体』における指摘に戻るが、GHQは、日本の立場を堂々と主張する人物が、国民的人気を集め、脱米・自主独立のシンボルとなることを恐れたのである。

このために、石橋湛山公職追放の憂き目に遭う。しかし、その苦節を乗り越えて首相の地位に就いた。だが、首相の地位に就いたためにさらに警戒され、早期退陣に追い込まれたのだろう。

同じように、米国に隷従することなく日本の主張を貫いたのが鳩山一郎元首相であった。鳩山一郎氏も吉田茂の画策によってだと思われるが公職追放に遭遇するが、苦節を乗り越えて首相に就任し、日ソ国交回復を実現した。
 
石橋湛山鳩山一郎などは、日本の立場を堂々と主張し、国民的人気を集め、脱米・自主独立のシンボルとなる人物だとして米国からの警戒の対象にされ、さまざまな攻撃を受けたものだと言える。

この図式は、近年の日本における人物破壊工作の標的とされた人々に共通するものである。小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏がその典型例であるし、不遜な言い方になるが、私もそのカテゴリーに含まれるものだと自任する。

民主党から離脱した本来の民主党主流派はいま「生活の党」に姿を変え、「人物破壊工作」ならぬ「政党破壊工作」によって縮小を迫られているが、この勢力を守ることができるかどうかは、日本の主権者の気概と闘志にかかっている。

鳩山一郎石橋湛山公職追放の苦難に見舞われながらも首相の地位に就いた。小沢一郎氏が人物破壊工作、政党破壊工作に見舞われながら、再度、政権を樹立することができるかどうかは、日本の主権者の意思と力にかかっている。

衆議院議員三宅雪子氏は参院選に立候補する。

「生活の党」が党勢を回復するには、主権者の物心両面での支援が必要不可欠である。

日本の自主独立と日本の尊厳を守ろうとする主権者が積極的に自主独立勢力をサポートしなければ日本は本当に米国の植民地に成り下がってしまうだろう。

党員・サポーターとして主権者が積極的に行動しなければ、この国を守ることはできない。