心に響く秋山さん(日本人宇宙飛行士第1号)の原発に対する想い

私はへそ曲がりである。
 
そして、国家や政府、あるいは、権威、というものが嫌いだ。
 
ニッポンは宇宙開発というまことに魅力的で夢にあふれたスローガンを掲げ、その裏で、核ミサイルや偵察衛星開発を着々と推進してきた。
 
社会福祉を切り捨てても、莫大なお金を投資し、宇宙空間に漂う、ゴミのような小惑星に探査機を送り込んで、チリを拾ってくるという、国家プロジェクトを推進してきた。
 
賢明な方々はお分かりだろうが、兵器開発をおおっぴらにできないニッポンでは、こういった、軍事に即座に転用可能な科学技術には、湯水のごとく血税を使ってきた。
 
十分な社会保障が受けられず、人知れず餓死する国民がいても、また、毎年3万人もの国民が自殺していても、何ら有効な対策もせず、一方で、莫大なお金のかかるロケット開発は継続され、それこそ、原発も作っている大企業に、ジャブジャブお金を流し込んできた。
 
国民不在な政策がニッポンの宇宙開発である。
 
石原のような、軍事力を背景にした帝国主義を推進するための国際政治が大好きな人たちには、国益を守る、ということで、国民の生命財産さえ犠牲にしても、こういった宇宙開発や高速増殖炉などという軍事に直結する国策に税金を惜しげもなく投入することは当然といった感覚なのだろうが、私は、一生懸命働き、何とか生きている国民を蔑ろにする国家など存在意義などない、と考える。
 
前説が長くなってしまった。
 
日本人宇宙飛行士第1号である元TBS記者の秋山さんの原発事故に対する想いを耳にして、私は、とても魂を揺さぶられる想いがした。
 
 ニッポン政府は、毛利、という北大の助教授だった男を宇宙飛行士第1号と国民に思わせたかったようで、秋山さんを無視し続けてきた。
 
このニッポンという幼児国家は、国がやることが一番でなくてはならず、国家が常に正しい、という幻想を国民に押しつけ洗脳したがるという性癖を有している。
 
要するに、正義の心が未熟な、幼稚な国家なのだ。
 
それはさておき、秋山さんの言説に、福島で椎茸農家を営み、自然と向き合うことで、人間の本質を見つめてきたの者の奥深さを感じた。
 
あの忌まわしい原発事故により、秋山さんは、家を捨て、農地を捨て、避難することとなってしまった。
 
彼はその混乱の中で、努めて冷静に、起こっていることを見つめ、自分に問いかけるようにして、原発事故とそれに対するニッポン人とその国家の無思想、無反省、無痛な様子を彼の言葉で語っている。
 
彼のジャーナリストとしての人生、そして、農家、としての生き方が、その言葉に深みを与えている。
 
以下に、秋山さんの話を2分割してたね蒔きジャーナルから引用するので、ぜひ、お聞きいただきたい。