気が重くて、スッキリしない

去年の大晦日は、結構、いい気分だった。
 
とくにいいことがあった訳じゃないが、無事一年が終わった、という感じだった。
 
2011年に、まさか、あんな悲劇が待ち受けていようとは。
 
と入力している途中で、新年となった。
 
あれこれ考えていると、気が重くなり、スッキリしないが、今年も、さぞかし憤慨と憤懣に満ちあふれた一年になることだけは想像できる。
 
自分がとても哀しい国に生まれ育ったという事実を突きつけられ、絶望させられた。
 
日本とは、この思想なき国家は、一体、どこへ向かうのだろか。
 
巷では、天災や人災(原発事故)への思いが、ずいぶんと希薄になってきたように感じる。
 
晦日、2011年最後の実験をしながらふと思った。
 
日本は、アメリカと関わることで、必ず、とんでもない目に遭ってきた、と。
 
開国をせまるアメリカに動かされ、極端な西洋化、近代化を急ぎ、そのあげく、帝国主義への傾倒と、その実現のための侵略戦争、そして、利害の対立から、アメリカとの無謀きわまりない戦争へと追い込まれていった。
 
そのあげく、人類史上、唯一の被爆国となることをアメリカに強要された。
 
アメリカに大敗し、属国となり、押しつけられた原子力の平和利用の片棒を担ぎ、命じられるままに、高価で破滅的な原子力発電を強引に推進した。
 
そして、予見されていた原子炉の地震への脆弱性を全く無視したことから、人類史上最悪の原発事故、放射能汚染を起こしてしまった。
 
日本の災禍は、必ずといっていいほどアメリカがその主因なのだ。
 
アメリカ、この国とは、何時まで付き合わなくてはならないのだろうか。
 
日本にとって、心と精神の安寧をもたらす国ではないことだけは確かだ。