核を求めた日本、再見

以前記事として取り上げたが、NHK特集、核を求めた日本、を見直してみた。
 
リンクを、以下に示すので、ぜひ、視聴していただきたい。
 
 
当時、日本側からの核兵器共同開発の誘いをうけたドイツの元高官は、現在、核軍縮アメリカがヨーロッパに配備した核兵器の撤廃に重要な役割を果たしている。
 
一方、日本の当時の核兵器保有検討に携わった者の多くが、ただただ、黙りを続けているだけである。
 
このドキュメンタリーを製作するきっかけを作った元外務官僚の、国民を欺きつつ、国益保護という美名の元に、恐ろしい企て(核兵器の製造と保有)が検討されていた事実を公表したという勇気は評価したい。
 
しかし、彼の言葉の端端に現れる、国家主義的な思想の断片と、それをいまだに堅持している様子に、私は、嫌悪の念を持った。
 
世界情勢、そして、人類共存という観点から眺めると、ドイツ人に比べて、日本人は、知性、倫理観、正義感など、人間としての成熟度において、すべてに劣っていると感じた。
 
国益、日本の至高なる利益、を守るため、という国家主義的論理しか、このドキュメンタリーに登場する、元外務官僚や元内閣調査室のトップの言説からは、読み取れない。
 
彼、そして、当時の関係者の中には、国民にとって、核開発は危険であり、どれだけの不利益をもたらすのか、という視点が全く欠落している点に、私は唖然とした。
 
元政府高官たちの言う国益とは、一体誰の利益を指しているのだろうか、そこには、相も変わらず、一般国民の姿を見ることは出来ないのだ。
 
この国は、一体、どこに流れていくのだろうか、未熟で歪んだ優越思想に裏打ちされた、一等国病(世界で一番じゃなくてはいけないという論理)、に冒された支配階層に国民は今後も引きずり回され、搾取され続けるのだろうか。