朝日新聞の朝刊に目を通した。
朝はあまりゆっくり出来ないので、斜め読み?という感じだ。
だが、原発関連の記事は、注意深く読んでいる。
で、感想だが、紙面の前の方では、除染による安全確保、といった内容の記事が占めている。
陸上自衛隊を使った除染キャンペーンの記事が抜かりなく掲載されており、新聞全体としては、除染で安全、という世論を醸成するような記事が複数あった。
現行の、いい加減な検査では、沢山の汚染食物が堂々と流通されている。
根拠が明確でなく、政治的都合で決められた基準値なるインチキを錦の御旗にして、国民に内部被曝を強制するという傷害罪、違法行為を国策として実行する国家、恐ろしくないか。
数日前にも、福島県でのホールボディーカウンターを使った子供たちの内部被曝検査において、検出限界値が高く設定されていた国産の機械では6人程度の被爆しか検出しなかったものが、新たに購入した米国産の器械で測定したら、200人以上の被爆が判明したということがあった。
被爆の有無、その程度を、誰かの都合で調整することが可能なのだ、あまりにナイーブな国民よ、目を覚ませ。
朝刊には、福島原発事故関連のシンポの記事が二面をさいて掲載されていたが、その発言者も、半分は、御用学者、御用医者が、危険性は少しはあるような話をしながら、結論的には、分かっていないから、確定していないから、あまり気にすることはない、という論調だった。
残念なのは、以前、個人的に知っていた医学者が、国策の手先になって、このシンポに参加し、上に書いたような放射能はそんなに心配することはない、というキャンペーンに荷担していたことだ。
彼は東大医学部の出身だったが、放医研を経由して、人生の後年においては、国策の担い手としての地位を固めていったようだ。
私は、この業界ではゴミのような存在ではあるが、若いときとのギャップを目の当たりにすると、哲学、という言葉が思い出される。
原発事故をどう考えるかは、まさに、その人物の生き方、哲学、そのものなのだと感じた次第である。
国民は、どうも、除染=安全、被爆しない、健康な生活が保障される 賠償不要、という連想に、すっかりとりつかれているように思える。