坊さんもやっと気がついたか

坊さんも、やっと気がついたのか、という感想です。
 
以前、高速増殖炉に、もんじゅ、という名前を付けたことを批判する記事を書きましたが、どう考えても、不適当な名称です、なぜなら、あの炉は、恐ろしく危険な原爆製造装置ですから。
 
私は、宗教は嫌いですが、思想として眺めたときに、沢山の真理がそこにはありますから、敬意を忘れないように注意しています、ただし、大方の坊主は嫌いです。
 
当時の原研幹部は、相当調子に乗っていたのでしょうね、自分たちのやっていることが、人類の英知を集めた画期的なこと、と思いたかったのでしょう、その危険性など全く無視して。
 
核分裂反応をコントロールできない、放射能を無毒化することができない人間が、手を出してはいけないのです、原発などに。
 
傲慢だったと思います。
 
原爆製造装置、でいいと思います、今後の呼び方は。
 
以下に、asahi.comより、関連記事を転載します。


 もんじゅの名、許されるのか 永平寺の僧が原発シンポ
 
 曹洞宗大本山永平寺福井県永平寺町)で修行僧を指導する僧らからなる寺内組織「禅を学ぶ会」が11月2日、「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開く。生まれ来る命にも思いを寄せた釈迦(しゃか)の言葉を引き、放射性廃棄物という「負の遺産」を子孫に残していいのか問いかける。
 
 燃やした核燃料より多い燃料用のプルトニウムが得られるとされた高速増殖原型炉「もんじゅ」、日本が独自に開発を進めていた新型転換炉「ふげん」の名は、1970年、動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)の幹部が、知性と実践を象徴する文殊もんじゅ)と普賢(ふげん)の両菩薩(ぼさつ)から取った。
 
 「文殊菩薩智慧(ちえ)は仏教の智慧であり、科学知識とは違う。許される名前ではなかった」と、同会の西田正法事務局長は話す。仏教者として菩薩と世間におわびしたい思いから、シンポジウムを企画した。
 
 釈迦は「すでに生まれているものでも、生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ」と説いたという。原発を動かす限り、半減期2万4千年のプルトニウム239が生み出され、子孫に残される。西田事務局長は「『私たちさえよければ』という欲に支えられた利益を漠然と享受してきたことを自覚し、一人ひとりが生き方を選ぶためのシンポジウムにしたい」。