試行錯誤が大切

青森県下北半島にある六ヶ所村で、核関連施設に反対を続ける菊川慶子さんのことを詳しく知ったのは、最近のことです。
 
以前、MBSのドキュメントで、チラッと登場されていましたが、ああ、こんな地道な活動をしている人がいるんだ、程度の感想でした、そのときには。
 
よく知るにつけて、菊川さんの生き方、考え方に、とても共感を覚えるようになりました。
 
菊川さんの大げさでない語り口や風情が、私、とても好きです。
 
いわゆるプロの市民運動家的な生き方ではなく、地元の六ヶ所村で、核関連施設に依存することなく、農業によって生活の糧を得ようという思想で生計を立て、反原発反核関連施設の運動も、無理なく展開するという生き方を貫かれています。
 
農作業を通して、環境問題を考えるという活動に力を入れているようで、宿泊施設を作り、ボランティアで農作業を体験してみたいという人を受け入れています。
 
菊川さんの、日々の思いを綴った日記が菊川さんのホームページにあるのですが、その中にに、今の若者を心配する一文がありました。
 
私が常日頃心配していることを菊川さんも今の子供たち、若者に感じているようでした。
 
その一部を、以下に引用します。
 
 菊川さんのホームページへのリンク:http://hanatoherb.jp/

菊川慶子さんのホームページ(花とハーブの里へようこそ)より、花とハーブのおしやべりから転載
 
私たちは試行錯誤を繰り返して大人になりましたが、いまの子ども達に試行錯誤を繰り返していく余地はあるのだろうかと思うと、いたたまれない気持ちになります。選択の過ちがそのまま死につながりかねないそんな世界。
自然淘汰されて、適者だけが生き残るシュールな未来。


引用、ここまで。
 
現代を生きる子供たちは、完成品、を与えられます。
 
それが教育だったり、あるいは、オモチャだったり、色々です。
 
そして、子供たちは、その完成品を使いこなすことで、短時間に、効率よく知識を得ることができます。
 
そこには、菊川さんの心配する試行錯誤の余地は沢山あるわけじゃありません。
 
加えて、日本社会は、効率を重視し、決められた時間内に、うまく作業できる人間が優秀だという考えから、試行錯誤、に十分な時間を与えてはくれません。
 
このことは、教育にハッキリと現れています。
 
例えば、中学受験では、知力の発達に差がある時期に、受験対策のための情報(知識)を詰め込み、それを効率よく運用できる子供を選別しようとします。
 
いや、それは違う、と批判する方もいるかもしれませんが、塾に過度に頼った対策が必要な現状は、中学受験の実態が、試行錯誤、による知力の養成過程を評価するというより、即戦力の完成品、を求めていると考えられるからです。
 
つまり、効率のよい子供を拾うことで、目的をうまく達成しようという考えがその根底にはあると思います。
 
そのために、子供たちはに、常に完成品が与えられ続けます。
 
塾の教育手法、テキスト、数々の受験対策等々。
 
心ある教育者は、あえて時間的余裕を設け、試行錯誤をさせようとしますが、日本社会の精神的な余裕のなさから、それは指導が足りないとか不親切だと誤解されかねないのが現状です。
 
子供に合った教育や環境を考えるというよりは、始めから結論を用意して、それに子供を当てはめようと躍起になるのが、中学受験の実態、のように私は思えるのです。
 
中学受験を例に挙げましたが、受験勉強に限定したものではなく、社会のあらゆるところで、試行錯誤のいらない、便利という余計なお世話が氾濫しています。
 
試行錯誤をさせて、知力を、自らの手で高めるという過程をもっと重要視すべきです。
 
自分で考えだしたものは、しっかりと身につきます。
 
試行錯誤の時間を子供に与えることのできる、精神的に余裕のある社会に成熟することが、今のニッポンには必要に思えます。
 
このまま、皆が同じ方向を向いて、便利な完成品を使って、よい結果を得ようと競争することは、独立心があり、思考力や独創性のある人間を育むことは難しでと感じます。
 
どうでしょうか、今の日本の子供たちを取り巻く環境、教育をこのまま続けていても、得られる結果は、今の想像力のない、責任感の欠如した、利権中心に運営される社会しか望めないように私は考えます。
 
菊川さんの日記から、試行錯誤、という大切な言葉について考えさせてもらいました。