なんか意図的なものを感じる

目の上のたんこぶがあり、それを追い落とすために、一番手っ取り早い方法は何か。
 
悪口をでっち上げ、相手の弱みにつけ込み、そこを徹底的に攻撃することで評判を落とさせる、という戦法がそれだ。
 
自分を高め、相手を圧倒するパフォーマンスを身につける、というのが正攻法ではあるが、それには時間と忍耐、が必要となり、短期間で、上辺だけの結果を出そうとする愚か者は、決してやらないだろう。
 
自分を高める努力をするより、相手を低く押さえ込む方が、楽だから。
 
この戦法の事例としては、教員の教育力や学校経営の差別化を宣伝しつつも、実情は完全に教育産業頼みの受験教育を柱とする、現在進行中の都立高校改悪があげられる。
 
東京都が主導しているとは言わないが、そのシンパは、私立や国立へ流れていた大学受験向きの子供を、都立の銘柄進学校へ獲得し、銘柄大学の合格者数を増やそうと躍起になっていることだけは確かだ。
 
マスゴミも都立高校改悪を応援していて、受験時期になると、日比谷高校、の入試風景や合格発表を、ご丁寧にも、報道してくださる。
 
この改悪の意を汲んだ個人、あるいは、都立高校受験や都立中高一貫校受験対策に力を入れる教育産業関係者か、ともかく、何かの利害関係にある者たちが、ネット上で、誇大な都立高校宣伝と、ターゲットとなった国立と私立の有名進学校を徹底的に叩くというネガティブキャンペーンを繰り広げている。
 
このキャンペーンは、都立高校改悪がぶちあげられた頃から活発化し、都立教育研究所などというホームページをヤフージオシティーにつくり、そこを活動拠点の1つとして、多くの作話を含む、同じ内容の記事を、ありとあらゆる無料のサイトに貼り付けるという手法で、ネットの利点を最大限に利用した宣撫活動が行われている。
 
さらに、このネガティブキャンペーンに反撃する者も登場し、気持ちの悪い学歴オタ、いや、銘柄学歴にあこがれを持つ者といった方がいいかもしれないが、が集うネット上の掲示板では、異常、としか思えない言い争いが繰り広げられている。
 
いや、その言い争い自体も、自作自演かもしれない。
 
端から見ていて、痛すぎる者たちだ。
 
 
 
教育も経済活動の一環?と考えるサラリーマン家庭が大挙して中学受験に参入してきたあたりから、中学受験が変質してきたように感じていた。
 
下品になった、と思う。
 
ある学校の評価を高めるために、ネットの掲示板が最大限に活用され、そこには、希望に満ちた、理想的な学園と生徒が紹介され、あるいは、在校生や父母と名乗る者たちが、まるで掛け合い漫才のような、絶妙のタイミングで、学校のすばらしさが延々と宣伝されていく。
 
その記事には、N研やYの偏差値が上がったこと、銘柄大学の合格者が増えたこと、生徒の身なり、素行が素晴らしいこと、見るからに頭がよさそうな子供ばかりが通学していることなどが、親やシンパ、ときには、在校生によって語られている。
 
まさに、理想の学園がそこにはある。
 
その手の記事をよく読んでみると、結局は、進学校化した、ということが最も言いたいことのようだ。
 
進学校化し、頭のいい子ばかりになり、学業も部活も、全力を挙げて取り組み、学生らしい立ち振る舞いで、地域の評判もうなぎ登り、という記事を読むと、へそ曲がりな私は、つぶさに信じることが出来ないのだ。
 
大学に身を置く者として、そして、入学難度の高い医学部にいる者として、日夜接する、ほとんどが銘柄進学校出身の学生たちは、それこそ、千差万別、な人間であり、判で押したような個性のない優等生ばかりなどでは決してないのだ。
 
学業や学力を最大の評価軸として、そこにいる生徒をむやみに高く評価することに、私は違和感を覚えるのだ。
 
子供をその学校に押し込んだ親や、何かの利害関係にある者たちは、なんとしても、その学校の評判を上げたいと思うに違いないし、そういう愛校心?も学校の環境を整えるためには必要とは思うが、それが、あまりに行き過ぎたものならば、そして、意図せず、他校を巻き込み、迷惑をかけることがあるならば、その評判はかりそめのもの、安っぽい金メッキ、になってしまう。
 
 
実は、最近気になったネット上の記事がある。
 
こういう書き方をすると、連想を利用した、錯誤を誘導すると思われるかもしれないが、どうも、あまりに意図的なものを感じたので、記事にすることにした。
 
神奈川県の鎌倉周辺にあるS女学院とK女学院という私立中高一貫校に関するネット上の掲示板が、ふとしたことで目にとまった。
 
S校は音楽に関する活動で、非情に高い評価を得ていて、豊かな自然の中にある広い校地と伸びやかな校風が評価されている。
 
ところが、その学校名が掲げられた、比較的最近に立てられた(10年前ではない!)、ネット上の掲示板では、学業(学力)、教員の質、生徒の素行、大学合格実績(どうもこれが一番の攻撃目標のようである)、についてさんざんな悪評が書かれ、かつ、それが何人かの者によって、エスカレートしていく、という有り様だった。
 
面白いのは、在校生や卒業生、を名乗る者が、この悪評を追認し、さらに助長している点である。
 
こういった、関係者による、学校の評判を下げるような書き込みは、ほとんど見たことがなく、私は非情に奇異に感じた。
 
果たして書き込んでいる者が、関係者かどうかは、証明する手だてはないのだが、人の弱点を徹底的につくというネガティブキャンペーンは、なぜそこまで追い込むのか、疑問を呈したくなる。
 
悪評の中に埋もれる、その学校の良さを慎ましく説明しようとするコメントの良識とは、あまりにかけ離れた書き込みなのだ。
 
悪評を書く人間の興味は、一致していて、学力の低下、大学合格実績の低下、である。
 
とどのつまりは、大学進学実績が最大の関心事のようであり、それにより、学校の評価をしているようだ。
 
S校の、N研による偏差値が以前と比べて落ちたことと、それと関連付けるような、素行の悪い生徒の話などを読んでいると、入学生の学力が落ちたことと、学業や素行の不良を結びつけたがっていることは明らかであり、さらに、学校当局が、旧態然として、何も改善の努力をしない、と糾弾するのだ。
 
さて、一方で、同じ地域にあり、N研の偏差値が急上昇するとともに、最近、めざましい学力の向上を果たし、大学進学実績もうなぎ登りな学校、Kの掲示板での評判は、まさに、理想の学園である。
 
優秀で素行のいい生徒、押し寄せる受験生、優れた教員、指導の行き届いた学校等々。
 
読んでいて、、恥ずかしくなるくらい、受験希望者、在校生、父母、すべてが大満足、そして、生徒は高学力で人間性も申し分なし、と言ういいことずくめの記事で埋め尽くされていた。
 
上にも書いたが、ここまでヨイショが過ぎると、価値観の違いかもしれないが、私とは相容れない思想を感じるのだ。
 
一言で言うと、下品、なのである。
 
生徒とは無関係のこととは思いたいが、学校を取り巻く環境、雰囲気、
が子供たちに少なからず影響することはだけは、心しておくべきだ。