現実対応より現状追認放射線審議会の新被ばく線量基準

あまり大量に転載するのはどうかと思うが、極めて重要な内容なので、敢えて転載する。
 
政府と支配階層は、国民を欺き、危険にさらしてまでも、利権を死守する覚悟を決めたようだ。
 
それを象徴する出来事が最近あった。
 
以前、プルサーマル公開討論会で(九電によるやらせが発覚)、小出さんを小馬鹿にして、プルトニュウムは危険じゃないと宣言した大橋という、東大のバカ教授を、北陸電力は、こともあろうに、原子力安全信頼会議の委員に抜擢したのだ。
 
北陸電力と大橋某の、この破廉恥な行為を、社会正義に対する挑戦、と私は受け取った。
 
高濃度汚染地域の住民は、極論ではあるが、国家による人体実験の対象としか私には思えないのだ。
 
それを受け入れている従順な住民は、太平洋戦争当時の非道な国家運営に、なすがまま、なされるがままだった時代と全く同じではないか。
 
本当に恐ろしい国である。
 
 
 
転載ここから。


現実対応より現状追認放射線審議会の新被ばく線量基準
東京新聞こちら特報部10月12日
 
政府の放射線審議会基本部会が、福島原発事故による汚染状況下での住民の年間被ばく線量上限を法定の1ミリシーベルトから「1~20ミリシーベルト」へ緩和する方針を決めた。
 
現実対応だというが、子どもや福島原発で働く労働者の被ばく基準を緩和したケースと同様、現状追認が色濃い。そもそも、基準をころころ変えてよいのか。現地の福島では、今後の除染や避難などの賠償への影響を懸念する声が強い。 (出田阿生、佐藤圭)

 「さんざん安全神話を振りまいておきながら、いざ事故が起きると法律は反故(ほご)にされ、1ミリシーベルトを20ミリシーベルトにまで甘くした。日本は法治国家だが、その国家が法律を守らない。勝手に基準を変えるのは犯罪だ」
 
 京都大原子炉実験所の小出裕章助教は、今回の被ばく線量上限の緩和方針にこう憤る。

 平常時の一般住民の被ばく限度は、国際放射線防護委員会(ICRPの勧告に基づき、放射線障害防止法などで年1ミリシーベルトに定められている。「どんなに微量であっても放射能は危険だが、ICRPが一応決めたラインが1ミリシーベルト。日本も受け入れた」(小出助教)。
 
 だが、国は福島原発事故後、さまざまな「暫定値」を場当たり的に打ち出してきた。例えば、食品の暫定規制値は上限が年5ミリシーベルト福島県の小中学校や幼稚園での屋外活動制限の放射線量は当初、年20ミリシーベルトだった。
 
 暫定値の根拠は、ICRP勧告に示された「緊急時」の線量限度の年20~100ミリシーベルト。主に原子力安全委員会が暫定値にお墨付きを与えてきたが、妥当かどうかを判断するのは本来、放射線審議会の役割。その法的な手続きも軽視していた。
 
 同審議会基本部会は、年1~20ミリシーベルトの「中間目標」について「現実的な目標を設けることが効果的な除染につながる」と主張するが、福島県内からは「健康軽視」との声が上がっている。
 
 子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人の佐藤幸子さんは「現状追認を繰り返している。命や健康を基準に考えるのではなく、すべて経済的な面から判断している」と批判する。
 
 「政府は現状でも避難区域の指定に消極的なのに、線量が緩和されれば、住民はいよいよ“避難する権利”が行使できなくなる。国は避難費用などの賠償額を少なくしたいのでは。被ばく問題の解決抜きには、みんなの気持ちは一つにならず、復興には向かわない」
 
 小出助教は、基準値緩和の狙いについて
「1ミリシーベルトを守ろうとすれば、福島県の東半分、宮城や栃木、群馬、茨城の各県、東京都の一部でさえも無人にしなければならないからだ。到底できないから、基準を変えようとしている」と看破する。
 
 「放射能汚染も被ばくもなくしたいが、どうにもならない現実を説明する責任が国にも東京電力にもマスコミにもある。事故の責任を明らかにした上で、原発を一切止めると宣言することから始めなければならない」
 
 「原子力推進の立場のICRPの勧告さえ、政府は守っていない」
 福島原発事故後、東電や政府の会見に出席している日隅一雄弁護士はこう断言する。「原子力安全委員会に質問すると、ICRPの低線量被ばくについての見解を否定はしない。だが、ひきょうなことに、国は口先ばかりで、具体的には何の対策もとっていない」
 
 例えば、「年間100ミリシーベルト以下の被ばくなら健康に影響はない」という一部の専門家や政府、マスコミによって広く出回った言説がある。
 
 だが、ICRPは「100ミリシーベルト以下であっても、線量とその影響の発生率に比例関係がある」として、防護対策をとるよう勧めている。低線量被ばくで健康被害が出ることを認めているのだ。
 
 それどころか、原子力安全委の担当者は「年間10ミリシーベルト未満の低線量被ばくでは、がんによる死亡者数増加について具体的な数字は示せない」と答えたという。
 
 日隅弁護士は「ICRPの勧告を読むと、死亡者の予測数が出しにくいのは1ミリシーベルト未満と記されている」と明確に反論する。
 
 「あきれた話だが、それよりいま重要なことは、低線量被ばくでも起きる健康被害をきちんと住民に説明することだ」
 
 一方、原子力資料情報室スタッフの沢井正子さんは「放射線審議会のメンバーは原発推進の人たちばかりで、反対派の学者も住民代表も入っていない。だから、住民の健康を守るという観点が薄い」と指摘する。
 
 審議会は学識経験者ら20人で構成。しかし、その性格は中立とはほど遠く、東京電力の関係者までいた。東電福島第一原発の鈴木良男副所長もメンバーの1人だった。
 
 文部科学省の担当者は「福島原発事故後は審議会に一切出席していないし、今年9月30日付で辞任した」と釈明するが、事故後も委員だったことは間違いない。
 
 今回、基本部会が合意した被ばく線量の上限について、沢井さんは「机上の空論。基準値を決めるより先にすべきことがある。この地域で生活すると、内部、外部併せて被ばく量は1年でこの程度になるという試算をしなければ。福島には、20ミリシーベルトなんて超えてしまう地域がたくさんあるはずだ」と懸念する。
 
 ところで、今回の被ばく基準の上限である20ミリシーベルトという数値はどの程度の値なのか。
 
 冷戦中に米国内で繰り返された核実験の長期的影響を研究し、「人間と放射線」の著書で知られるジョン・W・ゴフマン医師の試算によると、年間20ミリシーベルトの被ばくで1万人のうち80人ががんで死亡。ゼロ歳児は大人の4倍の感受性があり、1万人のうち320人が、やがて致死性のがんを発症するという。
 健康被害の可能性を具体的に住民に説明したうえで、住民とともにメリットとデメリットを検討し、避難の必要性を決める-。ICRPはこうした勧告もしている。
 
 放射線審議会も数値の設定は「自治体や地域住民の声を尊重することが重要で、地域目標を設けることも可能」とは説いているものの、具体的な方策は示していない。
 
 日隅弁護士は地域ごとに住民が参加する委員会をつくり、それぞれの地域で基準値を決めることを提言する。
 
 「放射線への感受性は個人によって違う。年齢構成をはじめ、地域ごとの特性もある。国が住民にきちんと放射線情報を提供し、住民主体で決めていくことが大切だ」
 
<デスクメモ> 
最近は原子炉のみならず、法治という社会の柱も溶融しているらしい。今回の基準の話もそうなら、先の政治資金をめぐる「推論」判決、基本的人権と矛盾する「暴排条例」にもそれを感じる。

法や原則は歴史がはぐくんだ人の知恵だ。それを目先の利害で軽視すると、やがて大やけどを負いかねない。 (牧)