相も変わらず、東大、東大、東大、東大

まずは引用から。
 


現役合格、東大の新人好投=東京六大学野球
 
時事通信 9月11日(日)18時37分配信
 東大2番手で投げた1年生初馬が、リーグ戦初登板で慶大相手に力投、目を見張らせた。3点リードされた三回2死二、三塁で登板。130キロ半ばの直球に変化球を交ぜ、6回3分の1を投げて1失点(自責点なし)。五回には3者連続で空振り三振を奪ったほか、七回にはプロ注目の強打者伊藤を際どい直球で見逃し三振に仕留めた。
 東京・桐朋高から文武両道で現役合格。高1から抱いていた「東大に入って野球をしたい」との希望をかなえ、夢の神宮マウンドを踏んだ。「東大の歴史を変えたい。まずは1勝」という新人が、連続最下位脱出の戦力となれるか。 
 

 
なんか変だな、という感想である。
 
とても違和感を覚える。
 
この試合、東大はボロ負けしたはずだが(しかも完封試合)、試合結果なしのヘンテコな記事である。
 
東大なら、ボロも錦に変わるらしい。
 
嫌な言葉であるが、これがFランクの大学で、弱小野球部という設定だとしたら、相手にもされないだろう。
 
最近は、高校生のクイズ番組などでも、自由参加を装っているが、実態は進学校を主役に据えて、学校名、そして、東大合格者数、東大合格率をやたらと連呼するという、下品で塾のまわしもののような放送が、堂々と行われているが、それと同じ思想性だろう、上の記事は。
 
大人も、子供も、本当に下品になったものだ、この出口の見えない、暗い社会、そして、それに起因する原発事故や災害対策の不備など、すべてを主導してきたのが、東大の卒業生だということを、日本社会は全く気にとめていないようだ。
 
東大出身者で、社会の中枢を目指す者に、まともな感性や人間性を有する者が極めて少ないということは、明らかである。
 
それなのに、相も変わらず、東大、東大、東大、東大、と連呼し、悪事に荷担する人間を作り続ける日本社会、教育界、の東大支配の強固さに、あらためて驚愕する。
 
この調子では、これから100年は、確実に、東大出身者の都合のいい社会が、延々と続くことだろう。
 
本当に救いがたい国である。
 
この記事を書いていて、ふと、あるエピソードを思い出した。
 
学生運動が盛んだったころ、全国から首都圏の大学紛争支援のために学生が集まった。
 
もとより、議論好きな連中である、しかも相当の理論武装で身を固めた強者集団であるから、自ずと、議論が白熱したらしい。
 
東大の代表が他大学の学生にやりこめられ、にっちもさっちもいかなくなり、思わず発した言葉が、
 
悔しかったら、東大に入ってみろ、
 
だったそうだ。
 
これには、一同、あきれて、苦笑したらしい。
 
自由や、既成概念の打破、を謳っておきながら、結局は、東大という権威に寄りかかって事を有利に進めようという、卑しさ、が露呈してしまったのだ。
 
そういう大学なのだ、あの大学は。