放射能なんか怖くない、除染でだいじょうぶ!キャンペーン

読売の、放射能なんか怖くない、除染でだいじょうぶ!キャンペーンです。
 
以下に引用した、記事をお読みください。
 
さすが、米国CIAエージェント、原発セールスマン、正力松太郎の読売だけあります、相も変わらず、悪事の片棒を担ぎ続けています。
 
除染というまやかしで、福島県民をなんとか汚染地域に押し込めようとする策謀が進行中ですが、それをバックアップするつもりなのでしょう、核実験場だったマーシャル諸島の例を挙げて。
 
よく記事を最後まで読んでください、結局、米国による除染?は一部の地域では効果があったかのような内容ですが、第三者による検証を経たものではなく、米国の発表そのままで、とても信じることが出来ません。
 
記事の終わりに少しだけ書いてありますが、ビキニ環礁では、除染?の効果が疑わしいようですし、人間が生活するほんの一部だけ放射能を取り除いても、周辺は放射能まみれなわけで、なぜ、こんな危険なことをしてまで、旧住民を帰島させようとするのか、私はサッパリ理解できません。
 
悪事を隠すためには、隠蔽工作が必要になります、それが、除染、だと私は考えます。
 
記事をよく読んでください、除染の方法も、いい加減で、全く荒っぽく、不器用な白人らしく、何でもかんでもコンクリートで固め、核爆発で出来た穴にたたきこんだだけです、いつかコンクリートが崩壊し、中の放射能が環境に漏出してくる可能性が極めて高いのです。
 
つまり、どこかに厳重に封じ込めたわけではなく、現地の環境に、コンクリートでふたをしただけなのです
 
それしか出来ないのですよ、広範囲に汚染した環境の除染などは。
 
日本政府も、米国政府のご指導の下、同じようにして、除染キャンペーンに乗り出したのでしょう、福島県民を犠牲にして。
 
今回の福島原発のときの対応から分かるように、米国は、放射能に関しては、とても敏感ですが、有色人種、とくに黒人などに劣悪な汚染環境で作業させるという露骨な差別が、いまだに続いています。
 
核実験場だったところが、白人、とは無関係だから、平気でこんな危険なこと(除染→帰島)をさせるのだと思いたくなります。
 
留学先の米国の研究施設では、黒人の作業員が、マスクもなしに、素手で汚染物を扱うのが当たり前で、福島原発の修理の際、危険な箇所の作業は、全て黒人の作業員だった(元東電社員に確認済)、などという凄まじい社会なのですよ、米国は。
 
米国は原子力推進国家ですから、日本政府と同じく、数々のやらせ、お金のばらまき、反原発に対する圧力、というキャンペーンを継続していますが、さすがに、表向きは民主主義の国なので、兵器用の原子炉は山ほど造っても、国内における民生用の原子炉の新造はもう何十年も行われていません。
 
彼らは、米国の支配階層は、十分承知しているのです、原発はとても危険で、除染などほんの気休めであることを。
 
米国政府は、日本国内では全く報道されてきませんでしたが、核兵器の事故により、プルトニュームなどの放射性物質が環境に放出されるという重大事故を繰り返してきました。
 
幸運にも、スリーマイル島原発事故以外は、荒野の中の研究施設だったり、空軍基地の中だったりして、限局的だったため大事にならずに誤魔化すことが出来ましたが(基地の土壌を何ヶ月もかかって広範囲に除去したりしたこともありました)、原爆を海に落としたり、1つ間違えば、大変なことになる事故を起こしてきたのです。
 
それでも米国が原子力にこだわるのは、核兵器、のためでしかないのです、全く愚かしい、世界の嫌われ者国家、です。
 
嘆かわしいのは、それをそっくり猿まねしているのが、ニッポン、という無法状態にある地域(とても国家とは言える代物ではない)なのです。
 
 
 
引用、ここから。
 
 
核実験のマーシャル諸島、半世紀を経て帰島進む
 
読売新聞 9月9日(金)3時22分配信
http://amd.c.yimg.jp/amd/20110909-00000024-yom-000-7-thumb.jpg
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放射性廃棄物を封じ込めた「ルニットドーム」(左)=エニウェトク環礁で、読売チャーター機から=小林武仁撮影
 米ソ冷戦時代の1946~58年、米国は中部太平洋マーシャル諸島共和国ビキニ環礁とエニウェトク環礁で計67回の核実験を行った。8月末、最後の実験から半世紀以上を経た同国を訪ねた。

 核爆発の破壊力は苛烈で、原子力発電所事故とは影響や性質は異なる。だが除染を経て人々が帰った島や帰島準備が進む島もあり、「福島再生」への示唆に富んでいた。

 8月末、エニウェトク環礁の一部、ルニット島に許可を得て上陸した。放射性廃棄物が埋設され、立ち入りが制限されている無人島。

 真っ白な砂浜を横切り、植物のツルをかきわけて進むと、灰色の円形ドームが見えた。直径約110メートル、汚染土壌などを封じ込めたコンクリート製の「ルニットドーム」の表面にはひび割れが目立つが、約1時間たっても線量計の数値は「0」だった。

 77年から、米国はエニウェトク環礁で、島々の表土をはぎ取るなどの除染作戦を実施。実験機材や生コンに混ぜた汚染土が、核実験で生じたクレーターに投入され、ドームで覆われた。

 核実験場にされる前に他の島々に移住させられた住民らは、同環礁南部の除染終了後の80年、33年ぶりにエニウェトク本島などに戻った。実験の影響による同環礁の放射線量は年間約0・01ミリ・シーベルトと、日本の平常時の基準の100分の1だ。

 一方のビキニ環礁。54年3月に水爆「ブラボー」実験が行われ、爆心から約160キロの海上にいた日本のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員が被曝(ひばく)したことで知られる。ビキニの人々は46年に強制退去させられ、別の島で暮らしていた。68年、米国はビキニに「安全宣言」を出し、住民の一部は帰島した。だが78年に宣言は撤回され、環礁は封鎖される。

 その後、米国はビキニ環礁の除染を行い、今大気の放射線は問題がないレベルだ。ただ線量の高い場所もあり、許可なく立ち入れない。半世紀以上を経ても戻る見込みは立っていない。