敗戦の日

今回の福島第1原発事故は、原発核武装の関係を、国民に知らしめる機会となった。
 
国民は、支配階層に適当にあしらわれ、洗脳されることによって、核武装への準備が進行していることに気づけない状況に追い込まれていた。
 
原発は、核爆弾であり、原発を推進することは、核爆弾製造に関する技術と材料を蓄積することに他ならないのである。
 
核武装を叫ぶバカ者は、どうも、右翼思想というより、ある種の歪んだ国粋主義思想と堅く結びついているようで、こういった思想が温存されていたことに、この国の戦後処理のいい加減さと、日本人の忘れっぽさ、言い換えれば、無責任さ、を痛感する。
 
大体、敗戦の最高責任者が、全くお咎めなし、という、信じられない戦争だったわけで、こんな国家?は近代には存在しないのではないか?
 
あほらしくて名前も忘れたが、自民党の、戦争犯罪人の末裔である、無能、政権投げ出し総理がいたが、あの者などは、こういった歪んだ国粋思想の伝承者なのだろう。
 
情報や権力を私していた戦争犯罪人は、敗戦後、いや、ポツダム宣言受諾前から、売国工作を開始し、敗戦後、すぐさま、米国のイヌになることにより、その命を救われた。
 
この最悪の人間達が、国家運営に性懲りもせず関わり、さらに、その者達の無能な子孫が、核武装への道筋をつけるという悪行をつい最近まで続けてきたのが、この明治期から何の進歩もない、正体不明の地域、米国領ニッポンである。
 
戦争で犠牲となった人々の無念が、戦争犯罪人やその末裔には、全く理解できない、いや、理解する必要を感じない、という状況が相も変わらず続いている。
 
戦争犯罪人が堂々と生き延びて、その思想の継承者が、大手を振っているこの国の状況では、戦争で犠牲になった方々の魂は、決して安らかではないだろう。