何でもありの原子力学会、これぞ、ニッポン!

先の大戦では、最も責任のある人物が何の責任も果たさず、また、責任も問われず、戦争犯罪人の多くが免責され、戦後、支配階層に居座り続けた。
 
その一部が、核武装へ向けての下準備である原子力発電を強引に推進し、多くの危険を全く無視し、国民の犠牲をものともせず、金まみれ、利権まみれの最悪、最低な原発利権(核武装準備組織)を構築してきた。
 
そのあげく、人類史上最悪の原発事故を引き起こし、美しい国土、を放射能まみれにした。
 
戦争犯罪人売国行為の果てに行き着いた先は、国土の破壊、2度目の被曝、であった。
 
あきれたことに、これに荷担した者達は、誰一人として責任を取ることもなく、問われることもないのが現状である。
 
ごめんなさい、と頭を下げるだけならサルでもできる。
 
この日本という米国の一植民地においては、支配階層に都合にいいことなら、一般国民の生命財産が脅かされようが、一切の責任を取る必要はない、ということなのである。
 
驚いたことに、原子力村に巣くう御用学者、電力会社、原子力産業からなる日本原子力学会は、人間としてあきれ果てた声明をこのたび出した。
 
今回の福島原発事故の調査において、関係者の責任を一切問わないでくれ、という内容の学会声明を出したのだ。
 
以下に、小出さんの、この声明に関するコメントをアップする。
 
この声明は、戦争犯罪人の処遇にも現れているように、米国の植民国家である日本という地域の特性にもとづくものであり、国家やそれに協力する者の行為は、免責されて当然という、驚くべきほど傲慢、不遜、無知、無責任な国家思想、社会思想が、その根底にある。
 
福島原発事故は、明らかな人災であり、厳しくその責任は追及され、処罰されなければならない。
 
この国家犯罪は、ニッポンという、西洋の猿まね国家では、自浄できるとは思えない。
 
社会を治める思想や、国民の権利について、何一つ努力することな、安直な輸入に頼った国家である、全てが見せかけであり、全く身についていないことから、とても、反省、分析、改革という過程をへて、自浄することなど無理だと考える。
 
そもそも、支配階層には、そのような思想が欠如している。
 
政府や電力会社を告発した人がいたが、その行為自体は多くの国民には支持されても、法の運営が国家に握られている以上、何の効力もないだろう。
 
この国家犯罪は、国民が糾弾するしかないのである、その唯一の正当な手段は、選挙であるが、犯罪者集団の二大政党と、それにコバンザメのように張り付いたナンミョウ系の政党という有様では、絶望的である。
 
日本原子力学会とは、恐ろしい人間達が、いや、正義という概念のない人間達が集まった組織であることが、再確認された。
 
事故調査委員会の委員長自体も、就任早々、責任追及はしない方針を掲げたが、その時点で、この委員会の存在意義は全くないものと考える。
 
支配階層、為政者の都合で、勝手に法律をゆがめ、かつ、不都合が発生しても、だれも責任を取ることがない、まさに、支配者にはパラダイス、やりたい放題の、開発途上国家、が、ニッポン、なのだ。
 
 
この声明の内容や経緯に関して理解しやすいと思われるので、河北新報の社説を、以下に引用する。
 

社説

東日本大震災 原子力学会/責任回避より英知の結集を

 東京電力福島第1原発事故は東電、国のみならず、原発を推進してきた専門家集団の責任や立ち位置も問うている。
 原子力研究者や技術者でつくる日本原子力学会は、7月に公表した声明で「個人の責任」を不問にするよう求めた。唐突で奇異な声明と言わざるを得ない。
 もとより、事故原因の究明を単なる「犯人捜し」に終わらせてはならない。その目的は公正、中立な立場から調査し、真実を明らかにすることにある。
 避難生活を強いられている被災者がいる。日本の原子力政策を世界が注視している。科学者がいますべきは免責の予防線を張ることではなく、原因究明と事故収束に向けて英知を結集することだ。社会的使命をきちんと果たしてほしい。
 声明は内閣が設置した第三者機関「事故調査・検証委員会」(委員長・畑村洋太郎東大名誉教授)に対して、「個人の責任追及に偏らない調査」を求めた。
 学会によれば、国内重大事故の過去の調査では、関係者から正確な証言が得られなかった。組織の問題として取り上げられるべきことまでもが、個人の責任に帰せられることを恐れたためだという。
 この経験に照らし、福島第1原発などで従事した関係者はもとより、事故炉の設計・建築・審査・検査などに関与した個人に対する責任追及を目的としない立場を明確にすることが必要、としている。
 実は学会は、声明の3日前に「政府や東電の国民への情報開示の遅れが被害拡大を招いた可能性がある」として改善を求めた。それだけに、突然の「責任不問要請」は組織防衛にしか映らない。
 事故調査・検証委メンバーであるノンフィクション作家の柳田邦男氏は「調査される側の団体が調査機関に対し、調査方法について一定の枠組みを要請するのは前代未聞のこと。何を恐れているのか」と疑問を呈した。
 事故後、原発の安全性に太鼓判を押してきた研究者に「御用学者」と批判の矛先が向いた。原発推進の錦の御旗となった安全審査に「加担した」と見られたからだ。
 だが、安全神話は「想定外」の巨大地震と大津波で崩壊した。原発の全電源喪失や建屋の爆発、大量の放射性物質の環境放出など、あり得ないとしてきた事態が現実のものになった。
 学会とは別に、原発に関わってきた学者ら有志16人は自らの責任を認めて国民に謝罪した。被ばく線量設定をめぐって内閣官房参与を辞した教授もいたが、これらは学者・研究者のごく一部にすぎない。
 学会は、事故を受けてなお「原子力が人類のエネルギー問題解決に不可欠の技術であることに思いを致し」と会長声明を出した。その視線の先に被災者の存在は感じられない。
 放射性物質の恐怖から逃れ、一日も早く平和な暮らしを取り戻したい―。学会が果たすべきは被災者の切実な願望に応えることだ。学会の分科会も提言する除染モデル構築や廃棄物対策を早急に実践に移してほしい。
 
2011年08月16日火曜日