3ヶ月後の意味

政府や東電の重要事案(事故)に関する発表が、その発生後、おおよそ3ヶ月たって公表されるというかたちが定着しつつあるように感じる。
 
事案発生時に、同じ内容が発表されれば、国民は注目するし、色々な意見が出てくると思う。
 
ところがである、自分でも不思議に思うのであるが、「実は、原子炉の炉心は、地震発生5時間後にはすっかり溶けていました」、などと3ヶ月後に言われても、ああ、やっぱりね、ウソをついてたんだなあ、などと再確認して、納得している自分を発見して、びっくりする。
 
心理学的研究に、3ヶ月という時間が、情報のコントロールに重要な鍵を握るという法則があるのではないかと思うし、それを、重要事案の発表に応用しているところをみると、明らかな意図、を感じる。
 
さらに、原発事故を想定した対応として登場した、計画停電と強制的節電計画は、ずっと以前から用意されていたプログラムのように思える。
 
原子炉が大爆発しそうなときに、東電と政府は、福島の原発が止まったくらいでは電力不足にならない状況にもかかわらず(大量の電力が一気に必要になるような時期ではなかった)、電気が足りなくなる、と不安を煽り、計画停電などという社会に混乱を招く馬鹿げた政策をいちはやく実施した。
 
人の命より、電気の供給、を心配しているところが、政府と東電の異常性を物語っている。
 
結果、福島第1原発周辺の避難が遅れ、その地域の住民は莫大な放射能被爆をしてしまったのだ。
 
計画停電、などという嫌がらせを、国民の生命を守ることより優先させる非情で非道な国家は、先の戦争において、国体護持の名目で、特攻を強要した国家と全く同一の思想性である。
 
面白いことに、だれも、この国難を招いた責任をとっていない、ということだ。
 
復興優先、などといって、責任に全く触れず、黙りを決め込み、また、お金で買われたマスゴミは何の責任追及もせず、誰に、どんな責任があるのか、全く追求する空気が国内にないことに驚愕する。
 
この度を過ぎた寛容?と水に流すという無責任な思想が、この国の致命傷であり、同じ過ちを延々と繰り返す理由である。
 
私の嫌いな国として中国があるが、責任追及という点では、中国は徹底している。中国では、重大事故、が起こったときには、その責任者は直ちに更迭、収監、取り調べを受けるという手順を踏むからだ。
 
今回の福島原発事故に関して、逮捕者や更迭された官僚、大臣、担当部局の実質的な管理者がいただろうか、誰一人、その責任を追及されることなく、相も変わらず、マスゴミに出てきては、原発は終息に向かいつつあるかのような発言を繰り返し、放射能被爆の限度を、正当な理由もなく、どんどん上げてるという、驚くべき無法を推し進めている。
 
彼らは、3ヶ月我慢すれば、バカな国民は忘れて、水に流すだろう、という確信のもと、非道で非情な政策を、責任も取らずに、原発利権保護と核武装推進のために必死になっている、というのが日本の現状だ。