原発を止めると電気料金が上がる?

ZAKZAKから引用。
 
原発再稼動しないと…電気料金36%増って本当なの?
2011.07.05

 電気に悩まされる日々から一日も早く解放されたいものだ。
 
 資源エネルギー庁が所管する日本エネルギー経済研究所の試算によれば、原発を再稼働しなければ来年の夏も深刻な電力不足に陥るらしい。経済への悪影響は避けられず、電気料金は跳ね上がり、だから再稼働は必要-との結論だ。でもこれって本当なの?

 同研究所が6月下旬に発表した2012年度までの電力需給分析は、「原子力発電の再稼働問題を真摯に検討することがわが国にとって喫緊の課題となる」と結んでいる。

 根拠となるのは来年夏に予想される大幅な電力不足だ。全国にある54基の原発(4896キロワット)がすべて停止した場合、総発電能力は最大電力を7・8%下回る。安定供給には5%程度の予備率が必要とされるため、合わせて12%以上の大幅な節電が必要で、従来の不足分を石油による火力発電で補うと、地域によっては需要が発電能力を上回るとしている。

 さらに、火力燃料の消費量は劇的に増加し、石炭とLNG(液化天然ガス)、石油で2010年度比3・5兆円も調達コストが上昇。合わせて、産業用電気料金も同年度比で36%上がり、リポートでは「わが国の産業競争力への極めて深刻な悪影響も懸念される」と指摘。原発再稼働は不可避との結論を導き出している。

 
しかし、「原発のウソ」(扶桑社新書)などの著書がある京都大原子炉実験所の小出裕章助教は、この試算について「今さら何を言っているのか。あきれて物が言えない」と一蹴した。

 「これまで水力、火力でまかなえる電力の合計以上になったことはほとんどない。わずかに足りなくなった量も、企業などの自家発電で吸収できる範囲。何よりピーク時というのは真夏の数日間の数時間に過ぎない。発電コストも電力会社の有価証券報告書を調べれば1キロワットあたり水力3・98円、火力9・90円、原子力10・68円と高くつくとの試算もある」

 また、ある原子力専門家は「『経済への悪影響』を錦の御旗にして財界をバックにつけ、とにかく原発を維持したい意図が見え隠れする」ともみている。

 「これからもこうしたミスリードは続き、さらに強くなるだろう。今はエネルギー消費そのものの抑制に目を向けるべき」とは小出氏。

 原発に頼らず石油などの化石燃料に偏りすぎるとオイルショックの二の舞いになりかねないが、再稼働しないと電気代が跳ね上がると言われても…。庶民の混乱は増すばかりだ。
 
引用、ここまで。
 
原発のコスト計算が、実績に基づくものでなく、推進派に都合のいいように改ざんされたものであることは、以前記事にした。
 
今後予想される補償費用、そして、増え続ける莫大な量の放射性廃棄物の処理費用を正しく計上したら、軽く3倍くらいに跳ね上がるだろう。
 
原発のコストは、今回の事故により、さらに事故対策費用が上積みされ、どんどん高騰することは確実であり、保険費用も、相当高額になると思われる。
 
いや、福島原発のように、危なすぎて、保険に加入できないという事態が続出し、それが、原発コストをさらに押し上げる、という悪循環になるかもしれない。
 
上に引用した研究所の論文には、発電量を細かく調整できない原発が無駄に発電した電力までも試算に入れているに違いない。不要な発電はしなくていいのだから、劇的、に火力発電への依存が高まるはずがない。現状でも、電気は足りているのだから、まったく不思議な論文である。この論文に見られるような誤魔化しや偏った論拠によって、原発再稼働の必要性を国民の間に浸透させるのが狙いだろう。
 
さて、こういった、原発推進をサポートするための、試算、や、シミュレーション、は政府と繋がりの強いシンクタンクや東大などの御用学者から、今後、どんどん提出され、それをマスゴミは無批判に、いや、どちらかというと積極的にに取り上げていくだろう。
 
なんとかして、電力不足への恐怖を煽り、原発は必要、という世論形成を目論んでいることは容易に想像できる。それに加えて、原発で喰っている巨大企業が、今後、この嫌がらせに、莫大な投資をして、反原発的な動きの圧殺を目指すことが予想される。
 
九電が、市民を対象とした玄海原発の再稼働に関するテレビ番組に、稼働に賛成するやらせメールで送りつける、という組織的な活動をしたことが明らかとなったが、これなども、企業ぐるみでの原発推進活動の激化を予見させる事件である。と言っても、この、やらせ、は今に始まったことではなく、原発推進派は一貫してこのような幼稚で卑劣な手段を執り続けてきたわけで、事情を知っている反原発派の人たちに言わせると、何を今更、という感覚らしい。
 
多くの国民に考えていただきたい、夏の数日の、そのまた数時間のことをあげつらい、さも大事のように騒ぎ立てるしか、原発推進派や政府は、手段を持たないのである。
 
彼らは、自分自身で知っているのだ、原発はなくとも停電しないこと、そして、原発は不要なことを。
 
破廉恥なことをしてまでも、国民の命と引き替えにしても、手に入れたいものが原発には付随しているのだ。
 
それは、どうもお金というなまやさしいものではなさそうだ。