ふと思ったこと

ふと思いついた。原発とは、官僚にとって、古くからの既得権者に干渉されずに独占できる全く新規の利権だったのかもしれない、と。
 
それを発議し、推進したのも、官僚上がりの、中曽根だった。
 
官僚の世界を知り尽くした男が、米国の命を受けて動き、見る間に、莫大な利権を構築していった。
 
政策のほとんどが、官僚にコントロールされた自民党政治屋と、原発など少しも理解していない、いや、理解しようともしなかった、原発建設地の、金に目のくらんだ田舎のおっさんたちによって、強引に決められていった。
 
これほどまで、官僚のコントロールが効いている利権は他にあるだろうか。
 
今回の原発事故対応に関しても、不可解なことが沢山ある。
 
福島の子供たちの年間許容量を20ミリシーベルトという数字が、突然登場してきて、そのあまりの高い値に福島の住民が文科省に強く抗議するという騒ぎになったが、その数字の決定過程が極めて不透明であり、資格のある委員会を経ずに、突如出てきたのだ。
 
詳細は闇の中であるが、事務レベルでは動き出していたのだから、事務、すなわち、官僚が自己都合によって、つまり、福島から子供を疎開させるのが面倒だから、勝手に決めたのではないかと想像する。
 
この決定過程には、原子力安全委員会は関与していないようだ。
 
すると誰が決めたか、ということになるが、その張本人がさっぱり分からないという始末である。
 
これは分からないのではなく、官僚の保身術である、わざと責任の所在が分からないようにしてあって、問題があっても、簡単にうやむやにできて、責任逃れが出来る、といういつものやり口にほかならないのだ。
 
今回の原発事故に関しては、国は、というか、実質的な既得権者である官僚は、自分たちが戦後手に入れて、大きく育てた原発利権をなんとしてでも死守するために、情報をコントロールし、国民が原発に疑念を抱くことを最小限にとどめようと、ありとあらゆる手段を使って、ついでに、菅をつかって、米国のサポートもうけつつ、原発の存続とさらなる発展を画策しているのだろう。
 
彼らの乏しくも傲慢な想像力でひねり出したのが、想定外の津波がすべの原因、という結論である。
 
つまり、誰も悪くない、というか、自分たちは悪くない、とすることに決めたのだ。
 
これまでの対応を見ていると、高級官僚たちが、何が国民の安全と幸福につながるのか、まったく想像力を働かしていないことに、私は驚愕し、絶望する。
 
彼らは、いったいどこの国の人間なんだろうか、と不思議に思う。
 
たぶん、黄色い顔をした白人、つまり、名誉白人、名誉米国人なのだろう、中曽根に象徴されるように。
 
欲に目のくらんだバカ者が、人の健康を台無しにしても、汚れた農産物を売りさばこうと企んでいるが、こういった倫理観のない人間が行政府や政治の世界を独占していることが、この国の、民主化を阻み続けているのだ。
 
官僚は、このバカ者をうまく操縦して、原発推進の手先にして、世界有数の地震国である日本に、面白いように原発を建設し、世界に冠たる原発過密国家を作り上げた。
 
そして、引き替えに、国民の安全と健康を奪い去ったのだ。
 
一体どういった親に育てられたら、こんな極悪非道、無責任が、躊躇なく出来るのだろうか、つくづく、親の顔が見たい、と思うのである。
 
一度、あの大学の入学式か卒業式に潜り込んでみるか、親の顔を見るために。