福島原発は、いよいよ、事態が増悪し、ボロを隠しきれない状況になってきた。
日本の為政者やエリートと呼ばれる支配階層は、楽観論をまず奴隷である一般国民に浸透させ、ついで我慢することが美徳と宣伝し、国民の忍従を前提に国策を考える傾向がある。
この政治手法は、明治期やそれ以前と全く同じであり、少しも社会の基本構造は成長することがなく、相変わらず、ごく限られた者のための国家である。
今回の震災に伴う原発事故はまさに、この身勝手な楽観主義が原因の人災である。
ならば、原発問題を真摯に考え、すぐにでも方針を明示すべきだ。
ところがである。
東京都のてっぺん野郎は、自販機が目障りと見えて、その規制をブチあげた。
加えて、パチンコの営業時間制限にも乗り出すようだ。
パチンコを目の敵にするのは、外国籍の日本居留者に対する強烈な差別意識に根ざしているのではないか、と勘ぐりたくなる。
議論になったら、その差別思想を誤魔化すために、節電や環境浄化などを、きっと持ち出すことだろう。
自分は税金で贅沢しておきながら、庶民の娯楽として定着したパチンコを目の敵にして規制することは、果たして適当なのか。
思想性はそれほど高度ではない、ただの駄々っ子なこども大人に首都の経営を任せるという、見識のない都民、いや、投票行動をした半数を切る人間に、あらためて失望する。
あの者は、規制や差別によって、何かを抑圧することなしには、精神の安定を得ることができないのだろう、その生い立ちからして。
現実問題として、不足分に関しては、それぞれの業界が自主的に協力することとなっており、それが十分であるなら、機に乗じた過度の規制は止めるべきだと考える。
ともかく、あの人物の思想の背後にあるどす黒いものが、私にはたまらなく不快であり、それを感得できない、いや、敢えてしない都民にも、いい知れない恐怖を感じるのだ。
今回の震災対応で指導力を発揮したと絶賛し、都合のよいこじつけ、それも法律などを持ち出して、それら全てを承知し、適切な指示監督を全てやってのけたという記事には、辟易させられる。
都民は、原発問題が、都民自身が解決すべき事案であることを、自販機やパチンコ規制に誤魔化されることなく、意識すべき重大事であることを決して忘れてはならない。