産経新聞より引用、だが、この記者の洞察力には、いささか不満だ。
【風(6)超氷河期の就活】
学生の意欲の低さを問う意見ばかりが目立つ今回の「風」だが、さらに探求を深めて、なぜそうなってしまったのか?も考えたい。手がかりになりそうなご意見をいただいた。
記事本文の続き 個人事業主として、ある短大の就職支援に携わっているという38歳の男性は、《学生自身が「自分は能力が低い人間である」と自己認識していると痛感しています》という。
《カウンセリングの中で「私は学力が低いので…」「能力が低いので…」「社会の役に立てない人間なので…」という言葉をほとんどの学生から聞きます》
前半のこの部分で、早くも読む手が止まった。今の世の中を生きる若者は、みんなこんなに悲観的なのかと、正直驚き、悲しくなった。私の子供はまだ小さいが、社会人になろうかという子供を社会に送り出す親の身になってみれば、「社会の役に立てない」なんて、こんなに悲しい言葉はないはずである。
《このような現在の学生の心理状況が「草食系」と言われる理由です》という見方も、なるほど、と納得させられる部分がある。
自己評価の低さイコール引っ込み思案-と短絡していいのかどうかはわからないが、新聞社の取材業務は、引っ込み思案では取材相手に顔を覚えてすらもらえない。だから、社内であまり「草食系」の若者を見ることはないのだが、みなさんの企業ではどうなのだろうか。
男性は、このような心理状況にいたった要因として、大学の“供給過剰”状態をあげる。
《半数の大学が定員割れとなり、大学の入学者選抜機能は失われています。企業はそんな大学の学生に採用の門戸を開くことができず、学生も大学選択時にキャリアが固定されることを敏感に感じ取り、「草食系」学生が量産される…》
こうした話でも、親の身からすれば「受験戦争を経験しないですむのなら、むしろいいことかも…」というかもしれない。だがそれが、結果的に競争力のない子供を育ててしまうことになるのなら、果たしてどうだろうか…。《大学とは何か?を検討する時期に入っているのでは?》という、この男性の意見が、強く心に響いてくる。(ろ)
引用、ここまで。
この記者、なにが言いたいかというと
誰でも大学に行けるようになったので、全体的レベルが落ち、無能な者も大学に入り込むようになった。自分の無能さを自己認識している学生は、馬鹿なので、ついつい本音を就職活動の場でも漏らしてしまう。馬鹿なヤツにはホトホト困ったものだ、俺様の新聞社には、そんな無能なヤツは入ってこないぞ
ではないか。
無能さを自己認識と書いたが、そのように自己評価するように、社会が追いつめた、という側面もあるだろう。
これだけお金が必要な学力向上競争が激化している状況では、そこから少しでも落ちこぼれてしまった子供達は、自分を過小評価する、という方向に落とし込められてしまう、あるいは、自分ではどうすることもできない学力向上競争に対する絶望感が、こういった、消極的な学生を生む背景ではないかと、心配するのだ。
だからといって、なまけぐせを、社会のせいにして擁護する気持ちは全くないが、一見、怠け者に見えても、それなりの理由と原因があることだけは、社会、は理解し、なんとかするための窓口は、大きく開放しておくべきだと考える。
私が言いたいのは、早熟な人間だけをもてはやし、情緒や人間性の陶冶も不十分な状態にもかかわらず、ありがたがって社会の重要ポストにつけるという効率重視の考え方だけではなく、日本が、やり直しのできる、懐の深い、成熟した社会、であってほしいということだ。