久しぶりに数学者のことを思い出す

この2か月、教育の方でてんてこ舞いだった。
 
そのくせ、駄文をたまにアップしていたが。
 
昨日、何の拍子か、志村五郎という名前を目にした。
 
何の拍子かではなく、東大闘争、を調べていてなのだが。
 
東大闘争当時の教官(国立だからね)に対する批判のなかで、丸山真男に関する記述で、志村が、丸山というという当時の知識人の象徴的存在に対して、鋭い批判を展開している記述を目にした。
 
志村五郎、すっかり忘れていたが、フェルマーの最終定理の証明に多大の貢献があった、谷山・志村予想(または定理)の発案者である。
 
丸山に関する批判は、丸山の著作を全く読んでない私には何とも判断のつかないものであるが、あまりに間接的な情報であるが、東大の丸山一派である庄司薫の小説、赤ずきんちゃん気をつけて、に登場する知性あふれた紳士が丸山本人であり、庄司の小説を読んだときに、何とも言えない違和感、いや、嫌悪、いや、拒絶の感情がわき起こったことを思い出した。庄司の文体が嫌いなせいもある。
 
志村は、論理的で優れた洞察力を持つ、超一流の数学者である、ただし、少々癖が強すぎる。
 
だからこそ、志村の鋭利な分析力と中途半端を決して許さないという生き方は、丸山という人間の底の浅さ、上辺を取り繕う狡猾さを見抜き、激しく嫌悪するということになったらしい。
 
丸山は、志村のいたアメリカの大学を訪れ、数ヶ月を過ごしたらしい。その間、志村はじっくりと丸山という人間を厳しいまなざしで見つめていたようだ。
 
私は、志村の丸山批判を目にしたとき、直感的に、志村を支持した。
 
私は、志村のような強烈な個性を持った数学者は好きになれない。その対極にあると、私が勝手に考えている、岡潔小平邦彦には、学問を志すものとして心酔し、無条件に共感できるが、志村には、それを感じることができない。
 
しかし、岡の珠玉の著作にも垣間見ることのできる日本への強い想いを、志村も持ち合わせている。
 
志村の、日本人、日本文化に対する思い入れは、共感できるものであり、志村が、心底日本を愛している様子が伝わってくる。それは、志村が、アメリカという過度な競争社会にドップリと浸かったことによる反動かもしれない。
 
数学者、それも、圧倒的な業績をあげた学者は、日本人の情緒や風土、創作されたものではない文化的なものが、独創的な思考を支えていると述べている。
 
その日本的なもの(抽象的すぎるが、彼らの著作にも、必ずしも明示されてはいない)が、日本人の心の豊かさ、思考力や独創性の陶冶に関係しているということを、今を生きる我々は、顧みるべき時ではなかろうか。
 
岡潔は、その著作で、日本的なもの、が失われつつあることに、戦後すぐ警告を発し、日本の行く末を心配していたことを思い出した。