もう少し慎重でもいいと思う、iPS細胞

本日、ノーベル賞の医学・生理学賞の発表があった。
 
受賞者は、大方の予想を裏切り、体外受精を実用化したイギリスの医師だった。
 
前評判がダントツだった山中教授とそのスタッフは、さぞ、残念な思いをしたことだろう。
 
でも、私は、ホッとした。
 
なぜなら、iPS細胞は、再生医療にとって、確かに切り札、といえる技術であるが、何か大きな問題を見過ごしているように思えるからだ。
 
改良もどんどん進んでいて、初期の、ウイルスを用いたリスクの高い方法から脱却して、さらなる進化を遂げている。
 
ただ、現状では、果たして人体への適用が可能か不透明であるし、慎重に事を運ぶべきと考える。
 
生命科学をやっている者として、余りに消極的な意見かもしれないが、試験管内の事実が、即、体内における事実とは言えないことを心配しているのだ。
 
科学の進歩には、思い切った行動も必要であることは重々承知しているが、私は、何か、大きな問題がiPS細胞には隠されているように思えてならないのだ。
 
自分が弄くっていないので、山勘、直感、からそう考えているだけで、証拠を示すことは出来ないが、例えば、ウイルスを用いた遺伝子治療が、重大な副作用を克服できず、遅々として進まないごとく、個体発生に関わる事象は、きわめて複雑な要素から構成されていることから、何が起こるか予測不能というのが事実だろう。
 
詳細は省くが、私も、骨髄細胞から、ある特定機能を持った免疫担当細胞を、種々の増殖因子で刺激し分化増殖させる、という実験を行うことがあるが、そこで増えてくる細胞は、我々の生体内部の細胞と、全く同一の物とは、言い切れないのだ。
 
確かに、見た目も機能も、遜色ない細胞であるが、似て非なる物、と言った方がいいかもしれない。
 
我々人類は、まだまだ、生命に関して無知であることを前提として、ヒトへの応用に関しては、慎重であるべきという立場を、私はとっている。
 
発生学の研究室出身の者が、極めて弱気なことを言っているが、ヒト以外の実験動物での様々な知見を考慮するとき、私は、慎重にならざるを得ないのだ。