学力が高い子供ほど草食系は本当か?

毎日新聞より引用
 
学力の低い生徒ほどチャレンジ精神が旺盛で将来の起業にも意欲的--。10代の子供たちの学力と将来の夢や目標との関連性を分析した調査結果を、教育関連のNPO法人「次世代育成フォーラム・リスタ」(東京都文京区)が発表した。調査担当者は、学力が高い子供ほど「草食系」と分析している。

 調査は今年4月、主に進学塾に通う首都圏や近畿地方など16都府県の中学生約1万8000人を対象に実施。国語、数学、英語の3教科の学力テストと、将来の目標や夢などを尋ねる58問の意識調査を併せて行った。学力テストの結果で上位、中位、下位の3グループに分けて分析した。

 「起業についてどのように考えますか」という質問に、下位層の10.4%が「いつかは必ずチャレンジしたい」と答えたのに対し、中位層は6.9%、上位層は6.6%。逆に「チャレンジしたくない」と答えた上位層は39.1%に上り、下位層(28.9%)と10ポイント以上の差が開いた。

 大学卒業後の進路に関する設問では、上位層は過半数(58.6%)が「日本の企業や公務員などに就職する」と答えたのに対し、下位層は41.5%にとどまった。一方で下位層の20%が選んだ「プロスポーツ選手や芸能人など特技や才能を生かして個人で活動する」は、上位層には人気がなく8.4%だけだった。

 担当者は「学力が高い子供ほど『草食系』で、いい大学に入り、安定した生活を目指している。逆に学力が低い子供は夢が大きく、野心的。今はただ、学力テストで結果が出せていないだけ」と話している。【井上俊樹】
引用、ここまで。
 
 
この調査をしたNPOがどのような団体かは不明であり、調査結果を読む時には、その調査者の思惑が必ず反映されているので、慎重さが必要であるが、今回の結果は、当たり前といえば、当たり前のように思える。
 
高学力者の共通性情の1つである、慎重さ、がこういった結果につながっているのだろう。
 
日本の教育システムで訓練され、選別された高学力者は、組織重視型の日本社会運営において、うってつけの人材であり、日本人の精神構造の中に、組織重視という考えがしみこんでいる限り、この日本型学力優秀者は今後も特権階級を形成し続けることだろう。
 
それとは別に、昨今、高学力集団の、公の場への露出、が目に見えて盛んになってきていると感じる。
 
学力に裏付けされた自信と周囲からの人望?で、前面に立つ機会が多い高学力者ではあったが、近年、何かの思惑に利用されるがごとく、やたらとマスゴミに自分をさらすようになってきた。
 
例えば、塾の広告などがその露出の典型例だろう。
 
また、テレビ番組でも、以前は高学力の学校の生徒を担ぎ出すことは、滅多になかったのだが、最近では、その手の有名進学校の子供を集めた番組を堂々と放送するようになってきた。
 
マスゴミ、マスメディアが、受験競争を正当化し、煽っている、と私には思えるし、たぶん、教育産業がスポンサーとして控えていて、スポンサーの経済活動(教育活動ではない!)を正当化するために、あえて、有名進学校の子供をテレビに登場させ、その学力の一端を見せびらかす、という私には下品としか思えない、行動に走らせるのだろう。
 
いかに高校生クイズなどと銘打って誤魔化そうとしても、その下心は丸見えである。
 
面白いのは、国際何とかオリンピックというやつだ。
 
あれの出場者を見ていると、どうも学校に偏りがあるように思えるのだ。ちょうど、東大の理Ⅲが、関西の某高校に占領されているようにだ。
 
例えば数学である。広い日本なのに、数学という天才的ひらめきの必要な分野において、特定の学校の子供しか代表にならないとは、私は、腑に落ちないのだ。
 
数学に天才的素養がある子供は、特定校に必ず入学できる制度でもあるのか?有名進学校では、こういったイベントを利用して、その存在価値を高めようとでもしているのだろうか?
 
何が言いたいかというと、子供も大人も、下品になったということだ。たぶん、いつものアメリカ文化の誤った理解による下品なアメリカをまねた結果だろうと考えている。
 
アメリカ人が、みんな自己主張が強く、オレがオレがと出しゃばるとでも誤解しているのだろう、日本のインテリ層はアメリカ大好き人間が多いから。
 
個人の才覚に関しては、私は、秘すれば花、という美意識が日本人にはあったと考える。その理を、昨今の日本人はどうも忘れ去ってしまい、賑々しく、自己顕示することに熱心である。
 
記事に関してもう一言。
 
今回の調査の担当者のコメントに、「学力が低い子供は夢が大きく、野心的。今はただ、学力テストで結果が出せていないだけ」とあるが、果たして、この傾向を社会が容認し、その先の成長を待つだけの度量があるか、私には疑問である。
 
なぜなら、組織管理重視の日本社会では、現状では、中学受験で、その将来のかなりの部分が決められる、という偏向的で歪な状況にあるからだ。
 
日本社会の成熟度が、時間というものを容認しない、極めて短絡的で幼稚なレベルにあると私は解釈している。
 
押し寄せる黒船に明日にでも対応しなくてはならない、江戸時代、明治維新と何ら変わりのない時間軸でしか人間教育を考えることが出来ない社会では、伸びしろ(envelope)が全くなく、今の程度が限界だろうと考えるのだ。