せめて、点滴が出来たなら

この時期になると、日航123便墜落事故のことが、自然と思い出される。
 
それは、私が飛行機好きだからかもしれないが、あの事故の衝撃は、とてつもなく大きかった。
 
事故発生の日を境として、しばらくの間、家の上を、夜間でも、ヘリがやたらと飛んで、秩父方面に向かった。
 
私が住んでいた地域では、夜にヘリが飛ぶことは全くなかったので、ヘリの爆音を聞いて、とても不安な気持ちになったことを思い出す。
 
当時は、現在とは違う大学で、助手として研究生活を始めたばかりだったが、研究室に学位を取りに来ている外科の医師が、もうちょっと早く現場に行けたなら、救える人もいたんじゃないか、としきりに悔しがっていた。
 
臨床家としては、相当な衝撃で重篤なショック状態だが、生存している乗客が多数いたんじゃないか、と考えたようだ。
 
現場に駆けつけ、点滴が出来たならなあ、と残念がっていた。
 
墜落現場が山深いところで、救助を困難なものにしたのは、報道されているとおりである。
 
医者となる者は、救いたい、という衝動を持っているし、そんな人物が医者になるべきなのだ。
 
医学部を、医師としての適性が全くないにもかかわらず、頭の良さの証明に利用するバカ者とバカ教師がいるが、この手の不埒者を可能な限り、弾き飛ばす選抜方式に変えることが必要と思う次第である。
 
当然である、医学教育には私学といえども莫大な税金が投入されているのだから。