行方不明な100歳以上の高齢者

このところ、100歳以上の高齢者の安否確認により、行方不明者が結構いることが分かってきた。
 
関係者も高齢だったりして、うまく話が通じない、あるいは、家庭の問題で、人間関係が断絶してしまっているケースもあると思う。
 
同居者が、出て行った、とか、会いたくない、などと言っているケースを、そのまま放置していたようだ。
 
おかしいな、と思っても、踏み込まない、踏み込めないという理屈のようだ。
 
幼児虐待を放置しているのと、全く同じである。
 
超高齢者も、幼児も、この国では、公が保護してくれないようだ。
 
現役世代から税金をガッポリ取り、それを、土建政治につぎ込み、そして、現役世代が老人となったときには、知らんぷり、を決め込むつもりだったのだろう。
 
なぜ、世界で一番である必要があるのか?と事業仕分けで疑問を呈した議員がいたが、誰のための世界一番なのか、という点を国民はきびしく監視する必要がある。
 
国民生活に直結する重要案件がクリアされた上での、世界一、であるならそれは恐ろしく価値あるが、現在のように、特定社会階層の人間だけが潤う社会構造である限り、私は、コンピュータが世界一だったり、惑星探査機に莫大な税金を投資する必要は、ないと思う。
 
これら産業に関わる人たちは、いわば、既得権者であり、それら企業が社会にふさわしい額の還元をするという保証があってこそ、そこに莫大な税金を投入する意味があるのだ。
 
国内がデフレでメチャクチャなときに、なにが、はやぶさ、だ。
 
これに浮かれている人間から、ガッポリ税金を取ればいい。
 
それをせずに、金持ち優遇政策をちっともあらためないから、私は、暢気な非生産的科学研究への莫大な税金の投入を批判しているのだ。
 
今回の、超高齢者の行方知れず事件から、もう少し、富の分配や行政に、思いやりがあってもいいはずだと、考えた次第である。