Justice、が届いた

日曜の夕方、NHK教育テレビで、ハーバード大学の超人気講義が放映中である。
 
講義者は、著名な政治哲学者の、サンデル教授である。
 
政治哲学というあまり聞き慣れない分野の講義であるが、何となくテレビを見ていたら、その講義内容の明快さ、出席学生の意識の高さ、学習量の豊富さなど、日本の大学の講義とはあまりにかけ離れた、ハイレベルな講義に、釘付けになった。
 
土曜の真夜中にも再放送されていて、見逃したときには、必ず再放送を利用している。
 
内容は、素人の私でも分かるものから、高邁な哲学思想に基づいたものまで、多岐にわたり、この講義に参加するためには、事前学習と、気合い、が必要と感じた。
 
日本語訳の講義要旨がつい最近発刊されたので、早速購入した。
 
講義で使用しているテキストも入手可能であるが、基礎知識のない分野の、それも外国語で書かれたものなど、私には、無理である。
 
アマゾンから、しばらく日数がかかるように説明されていたのだが、今朝、届いた。
 
政治哲学は、社会を政治によって治める上で、規範となる正義(Justice)、をどう定義するか、という学問と、私はこの講義から理解した。
 
現代社会が抱える、市場原理主義新自由主義などの思想が、社会運営にもたらした数々の問題点を考察するために、古今の思想家の考えを紹介しながら、いや単に思想の紹介にとどまらず、具体的な例を示すことで(現代社会にその例を求める)、学生の思考を刺激することにより、活発な議論が展開するる。
 
双方向の講義の理想型が、サンデル教授によって、よどみなく進行されていく。
 
すばらしい、の一言である。
 
社会を運営する上での正義、を論じる上で必ず問題となる、格差と平等、についての、突っ込んだ議論は、まさに、テレビ番組のタイトルのように、白熱、する。
 
アメリカの学生は、議論慣れしている、という印象を強く持った。
 
中には、未熟な、というか、論点を理解していない意見を開陳する者もいるが、それでも、堂々と自説を述べる学生たちの積極性と勇気には感心する。
 
日本社会における格差の拡大を、どう考えればいいのかと、私個人としては、整理ができない状態だったが、この講義を聴く(観るか)ことで、整理の方向性が、少しは分かったような気がする。
 
いま、中公新書の不平等社会日本(佐藤俊樹著)を読み始めたが、まずは、サンデル教授の講義で、正義、を理解した上で、佐藤氏の社会科学的分析に基づく(統計学的手法を多用していて、感覚的、情緒的な曖昧さを排除している)、論説に当たる必要があると、理解した次第である。
 
佐藤氏の論説には、断定を避ける傾向があり、歯がゆさを感じるが、現代日本の実相の一面を切り裂いて、さらけ出しているように感じた。
 
このブログで、佐藤氏の思想を、正面切って取り上げるだけの力量は、私にはないが、いくつかの気になる点に関しては、いつか書いてみたいと考えている。
 
佐藤氏の論説の中で、今のところ一番気になる点は、格差のただ中にいる社会的エリートが、自己批判や自己否定することにより、格差社会を批判し、それをもって、格差に不満を持つ者を慰め、ガス抜きをしている、という考え方である。
 
果たして、そうであろうか?