石原慎太郎の背景

評論家 山崎行太郎さんのブログで、このところ、石原慎太郎批判が展開されている。
 
詳細は、氏のブログを参照していただきたい。
 
山崎さんの言説によれば、石原慎太郎の、自身の生まれと育ちに対するコンプレックスが、彼をして、強気な独裁者を演じせしめているのではないかということである。
 
以下に、山崎さんが、そのブログであげた石原の素性に関する参考文献をあげる。
 
佐野眞一著『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』から引用
 
慎太郎、裕次郎兄弟は十代から湘南の海でヨットを乗り回した。そのブルジョワ的イメージから、そもそもからして資産家階級の出身だと思われがちである。父親も大学出のエリートサラリーマンだったと思うのが一般的な見方だろう。だが実際の潔は中学もまともに卒業せず、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの船会社にもぐりこんだとはいえ痰壺洗いという最末端の仕事から這いあがっていかざるをえない男だった。肉体労働者階級出身でありながら、そんなことはおくびにも出さずリッチな生活はあたかも天与のものだったかのごときにふるまう。イメージと現実のこのあまりにも大きすぎる落差のなかに、慎太郎という男の謎を解く一つのカギがかくされている。
 
これを読んで、私は、大いに合点がいった。
 
都立の、進学指導重点校中高一貫校に集う、お金をかけて磨かれた、特別待遇の、選ばれし子供たち。
 
石原が嗜好する要素が、これら公教育を逸脱した受験特化型教育組織に凝縮されているのだ。
 
まるで私立の特権階級用進学校(例えば、彼の地元の逗子開成などが念頭にあったようだ)を模倣したかのような改悪であるが、彼にとっては、その特権という二文字が、すべてであるのだ。
 
彼の背景にあるものは、これだったか、という感想である。
 
公教育の理念など、彼には無縁なのだ。
 
与えられた権限で、自分の好きなことをやるのみだ。
 
当然のことながら、大多数の、普通の子供のことは、眼中にないのだ。
 
いや、見たくない、といった方がいいかも知れない。
 
もう少し、資料を当たって、私なりの考えを、まとめたい。