国を引っ張る人材って?

ヤフーの教育関係のサイトを眺めていたら、能力別編成クラスとエリート教育(つまり国を引っ張る人材のこと)を絡めて、いくつかの事例を示しつつ、論説しようとする記事が目に入った。

しっかりとした論はなく、事例の提示と、中途半端な分析にとどまり、これを、教育の森、などという大仰なタイトルを掲げて、特集するほどのものではない、と感じた。

国を引っ張る人材を養成するには、学力重視の学校運営をやればいい。

そして、テストの点の上位者を、優遇し、社会の重要ポストに据えればいいだろう。

これこそ、過去、そして、現在、日本がやってきた、国を引っ張る人材の養成方法である。

他に、方法があるなら、教えて欲しい。

組織運営に適応した人材を選別するためには、学力重視を前面に押し出して、学習させれば、おのずと、組織運営に適した素質のある者(既成の情報や知識を上手に運用する能力がある者のこと)を、テストの点数という客観的な物差しをもって、拾い上げることが出来る。

まさに、いま、この方向に、この国は一斉に動き出し、ゆとり教育、を追いつめ、排斥しようとしてる。

国を引っ張る人材、私は、この文言を目にすると、鳥肌が立つ。

同じ目標を掲げ、一心不乱に、お国のために尽くす人材の養成という、戦前の軍国時代の学校教育を連想するからだ。

ゆとりを持って教育すれば、心配しなくても、自分で筋道立てて物事を考える人材が、自然と育つと考える。

子供いじくり回し、あげく、結局は詰め込みと反復練習という、学力強化策しか思いつかないこの日本という国は、結局は、お国に奉公できる人材を、ありがたがっている、文明開化から少しも進歩していない。

相変わらず、国際化というと、英語教育しか思いつかない植民地的発想から、一歩も抜け出ることができない日本。

どこまで、アメリカのお付き合いをすれば気が済むのか。

高学力者(つまり高学歴者ということ)ほど、この傾向が強く(アメリカにすり寄る)、それを絶対視しているから、始末に負えない。

国際化とは、英語が喋れることではない。

人格、教養を磨き、豊かな感性を持つこと、これこそが国際化である。

断じて、語学教育ではない!

つまり、人間として、国籍や人種にとらわれず、相手と情を通じることが出来るか、ということだと、私は考える。

この記事では、教育、という言葉は使いたくない。

この国で、国を引っ張る人材の養成といえば、私の感覚では、教育ではないからだ。