就職がないから、進学する

高校生、大学生の就職難が伝えられている。

高校生は、これまで比較的、就職率がよかったような印象があったのだが、このところの金融危機と経済の先行きの不透明感からか、採用を見合わせる企業が多いと、解釈されている。

学生は、対応策として、就職から進学に切り替える、という例が増加しているらしい。

高校生は、大学や専門学校進学に、大学生は、大学院に、ということだ。

大学生のモラトリアム傾向による大学院進学者の増加は、ずっと問題になっていたが、高校生が、就職がないから進学する、というのは、新たな展開のように思える。

昔は、経済的余裕がないから就職を選択する、ということが多かったと思うが、いまは、それに近い状況や、早く社会に出たい、と考える者にとって、進学しか選択の余地がない、という不可思議な状況になってしまった。

働きたいと思う者が、働けないが、高額な学費を払って勉学する場というか就職準備をする場は、潤沢に用意されている、という社会は、どこか間違ってはいないか。

まるで、教育産業へ、お金を落としなさい、と誘導しているようにも思える。

経済が好調で、誰もが豊かで余裕があるから、進学を考える人が増え、それに見合った教育の場が用意されている、というのが普通だろう。

つまり、経済格差が教育というか学歴格差につながる、という考え方だ。

就職を前提とした教育や学習すべてが悪いと言うつもりはないが、その傾向が強まると、ますます、大学での高等教育の意義が失われて、単なる職業訓練校や就職活動のための予備校と化すのではないか、と心配する。

子供の大学生活を脇で見ているが、就職活動に、振り回されていて、落ち着いて勉強に励む環境が、建物だけは立派になっているが、ないように見える。

一時期、経団連だかが、大学は即戦力の人材を養成すべし、という高飛車な要求を掲げたときがあったか、この経営者集団のおごり、たかぶりが、日本の教育を歪めている元凶の1つではないかと考える。

大学教育が変質し、就職活動の場となり、学生は入学当初から、就職という目的を目の前にぶら下げられ、右往左往することが、果たして、この国の未来を担う人材の養成に、プラスとなるのだろうか。

私は、悲観的に思える。

社会には、さまざまな人生行路が用意されているが、決して、公平なものではないこと、そして、それを、受け止めて生きていかなければならない現実があるにもかかわらず、教育費という名目で、社会が不要な出費を強いるなら、この世の中は、不満にあふれ、どこかで、大崩壊を起こすだろう。

私は、この国の教育制度そのもが、お国(あるいは会社)の役に立つ人の選抜という狭量な目的に限定されていることが、教育産業へ何でもかんでも誘導して、お金をむしり取る、というシステムに繋がっていると、空想しているのだ。

最近、騒がれている学力主義に関連して、この主義を推し進めると、就職はないが進学の道はある、という社会が維持され続けるのではないかと、心配している。

そういう社会を見直し、不要な教育産業を切り落として(要らない学校は潰す!)、社会を再整備することが必要だと考える。