正月の過ごし方2

今年の正月は、日本陸海軍に関する評論?、研究に関する本を、何冊か読んでいる。

購入不可の本もあり、古本で購入中、というものもある

なぜ、嫌いな軍隊ものを読み出したかというと、とてもミーハー的ではあるが、坂の上の雲を、読み直しているからだ。

随分前に読んだので、記憶も曖昧であるが、司馬さんの筆力に乗せられて、一気に読んだという感覚しかない。

読み進めているうちに、戦史的なことが気になりだして、それに関する本を、平行して読み出してしまった。

そのうち、日露戦争というものが、昭和の軍隊へ、多大な影響を与えているという表現に引っかかって、昭和の陸海軍の問題点を論説した本も読み出してしまった。

戦史関連の本や、昭和の日本陸海軍の研究書(評論を含む)は、書く者の視点や思想で、随分評価が異なる場合があり、いささか混乱してしまうのだが、帝国陸海軍バンザイ的な内容には、拒絶反応を起こしてしまう。

あれだけの人間を無駄死にさせておいて、バンザイ、はあり得ないだろう。

批判的なものは、軍隊組織の官僚体質と硬直化、そして統帥権という物騒なものの悪用、という論調がほとんどである。

国体に関しては、正面切っての批判や論評が避けられており、日本国内に現存する闇の部分を連想させられる。

昭和期の軍隊に批判的なものを読んでいると、こんな奴らがなぜ(一部、正常な精神状態を逸脱していると思える人物や、人格異常と思える人物もいる)、あれだけのことを出来たのか、と怒りがこみ上げてくる。

戦争犯罪人捜しと、その糾弾は、ある意味気持ちのいいものであるが(自己満足的な要素があるという意味)、冷静になって考えてみると、一般市民も、思想的に軍国主義に雁字搦めにされたうえに、それに協力した(させられた)という事実は、しっかりと心に刻んでおかなければならない。

伊丹十三のお父上で、映画監督だった伊丹万作は、戦後まもなく、太平洋戦争を省みることなく、あの悲劇をいとも簡単に忘却する人々を見て、将来、必ず同じ間違いを繰り返すだろう、といったと聞くが、今まさに、日本ではその状況が起こりつつあると感じる。

もし、自民党政権がもう少し続いていたなら、田母神のような人物が、もっとあからさまにマスコミに顔を出し、煽動していたに違いない。

昭和期の軍国主義の形成過程は、日本人の精神構造の本質に根ざしたものであり、いつでも、再現される可能性がある。

侍ジャパン、とかいって、サッカーなどでやたらと愛国心を煽る輩がいるが、あれなどは、日本人の潜在意識にあって、歪んだ死生観に繋がる美学の形成に影響を与えている侍という思想のきわどさを示すものであり、下手をすると、直ちに、軍国主義国粋主義と手を結びかねない危険性がある。

軍事ものは、パノラマ的な情景を想起させてくれはするが、そこには、一滴の血も流れてはおらず、気を付けないと、非人間的な作戦参謀のような思いに囚われて、命の尊さへの思いが希薄になる瞬間がある。

軍事ものには、何かの魔力があると感じた次第である。