祝島(山口県)と原発

子供の頃、山口県で暮らしていました。

山口県にある小島、祝島の周辺で(上関町長島が予定地)、原発建設が行われようとしていて、漁場を失うことになる漁民の反対運動が起こっているようです。

全然知りませんでした(恥じ入ります)。

薩長が企画し、明治以来構築してきた、政治屋と官僚による独裁政治の大転換が実現するかもしれない、ということで、国民もマスコミも、政権交代一色でしたが、その陰で、無責任投げだし総理大臣アベシンゾーの手下(二井知事)は、住民の反対を押し切り、原発を建設しようと、躍起になっていたようです。

これまで27年間にもおよぶ反対運動が展開されてきたようですが、マスコミは、ほとんど報道しなかったんじゃないでしょうか。

祝島、と聞いたとき、どこかで耳にした言葉だなあ、と感じました。

思いをめぐらしていると、山口県に暮らしていたとき、近所の人の口から、そして、親の口から、祝島、という言葉を聞いた記憶が、ハッキリとよみがえってきました。

祝島では、魚が沢山捕れて、よい漁場のようで、私の記憶に残っているわずかな断片も、魚のことばかりでした。

電力需要に対応するため、現状では、原発は不可欠という発想があり、その設置場所は当然のことながら、危険を伴うため、騒動になります。

この件に関しても、業を煮やしたのか、ここに来て、住民を無視し、強引に原発建設を開始しようとしたようです。

電力需要の増加分は、大方、原発で賄おうと国と電力会社は画策しますが、果たして、その他の取り組みをまじめにやっているのでしょうか。

太陽光発電風力発電、波力発電、海水温の温度差を利用した発電など、現状では高コストとして敬遠されるものもありますが、研究を進め、実用化する努力を本気でやっているのでしょうか。

原発から出る放射性廃棄物、そして、原発施設自体、その処理には莫大なお金がかかり、かつ、現状では対応できないものも(不要になった猛毒の原子炉などは、設置場所に、そのまま放置するしかない)、沢山あるのです。

自民党と電力会社は、原発を、クリーンなもの、などと笑止千万な宣伝を繰り返してきましたが、とんでもない猛毒であり、人類は、いまだに、その適切な処理法を確立していないのです。

はじめから、原発建設ありき、なのがこれまでの電力行政だったのです。

原発建設は、地元利権組織に、莫大なお金をもたらすのでしょうが、その代償は地域住民だけにとどまらず、国民全員に返ってくるものなのです。

地震国であり、地盤が不安定な日本では、原発建設が可能なところは、ごく限られているはずです。

そんな制限の多い国で、これ以上原発を建設することを推進すべきか、利権と切り離して、冷静に考えるべきです。

大幅な二酸化炭素削減を表明した鳩山政権ですが、その切り札が原発であるなら、私は幻滅です。

それこそ、教育の問題と同じく、日本の存続に係わる問題ですから、国民にその信を問うべき事案だと考えます。

国土が広く、大気圏内核実験ができるほどの国(米国やロシア)なら、リスクを国内に抱え込むことも、可能かもしれませんが、日本では、もうその余地があるとは思えないのです。

漁業で生計を立ててる人がいる、ということは、その国内産の水産物が、食糧自給に貢献しているという見方もできるわけで、農林水産業の保護との兼ね合いもあり、納得のいく解決策を、新政権では提示して欲しいものです。

最後に、私は、電気に依存した文化的な生活が、制限される事態になっても、それを受け入れるべきだと考えています。