試験の採点で思うこと

先日、某大学で、試験を実施しました。

本務校ではありません。

対象は、1年です。

記述問題を、半分出題しました。

難度の低い、かつ、自由に書ける問題でしたが、まともな文章は皆無でした。

五択問題なら、そこそこ出来るのですが、知識の理解度をはかるために、記述にすると、とたんに、ぼろが出ます。

受験テクニックを運用することに慣れきった昨今の大学生は、論理的な作業が、苦手です。

本務校でも、同じ現象がみられます。

この傾向は、入学難度によらず、どこの大学でも見られる傾向です。

大学教育に必要な、論理的な文章が書けない者が多すぎます。

当然ですね、小学校から高校まで、どこでも、まともな作文教育がなされていないからです。

作文とは、非常に頭を使います。

もっと、作文教育を徹底できないものでしょうか。

自分の小学生の頃は、頻繁に作文を書かされた記憶がありますが、子供たちをみていると、その頻度が、減少していることは明白です。

昨今の先生方にとっては、作文は、厄介物なのでしょうか、確かに時間はかかるし、指導的なコメントも必要ですから。

私自身、思考力を養うためには、読書と文章を書く、という作業が絶対不可欠だと、いつも痛感しています。

文章を作るという作業の意味を、今の、とくに初等教育の現場では、どう考えているのでしょうか。

変な教育手法で子供をいじくり回すより、日本人なのですから、思考している言語で、まともな文章を書けるようにすることが、いま、一番やらなければならないことだと考えます。

試験の採点をやりながら、いつも、こんなことを考えています。

日本は、かなり危ないところに来ているのではないかと、心底心配しているのです。