不要な公共事業を中止する、という民主党の公約の最大の目玉は、八ッ場ダム、だろう。
地元では、ダム建設中止反対の声が多い、という商業マスコミの報道であるが、実態はどうなんだろう。
国による建設計画が出されてから、紆余曲折をへて、建設推進に至ったらしいが、果たして、このダムは必要なのか、という観点から、冷静に判断できないのだろうか。
確かに、反対から賛成に転換する過程に擱いて、地域住民は、多くの不利益をこうむったことは理解できるが、なぜ、初めは反対だったのか、という点が、全く報道されないのはどうしてだろう。
国の長年にわたる土建政治の道具に、このダム建設が使われていたように思えてならない。
最終的に、地域住民は、あらゆる手段でからめられ、賛成に回るしか選択の余地がない、という風に追いつめられていったのではなかろうか。
現状は、地域住民、そろってダム建設賛成のように報道されているが、私は、疑念を抱かずにおれない。
なぜ、初めは大々的な反対運動がおこったのか、という原点に立ち返えることは、もはやできないのか。
地域住民は、ダムを造ることが、自身の生活を豊かにするという保証でもあるのだろうか。
自民党による土建政治が日本の隅々まで浸透している現状では、ダムを造ることで、潤う人も多いのかもしれないが、政権は交代し、自民党政治とは全く異なる政治をを公約にした政党に、国政をゆだねたのである。
革命を起こそうとしている状態なのである。
国政の観点からみて、不要なものは造らない、という強い意志が、必要だと考える。
これだけ既成事実があるから、引っ込められても困るという考えなら、日本の社会は、何一つ変わることはできない。
この地域の住民が、相変わらずの土建政治を志向しているなら、説得することは不可能ではないか。
地域住民の本当の総意は何なのか、商業マスコミの偏向的報道では、ちっとも分からない。
声の大きい、土建政治を志向するものが中核にいて、ことを複雑化し、民主党政権の存続に揺さぶりをかけようとしていることはないのか。
地域住民の総意をもう一度確認し、要求があるなら、公の場で披瀝すべきである。
自民党政権の悪政のツケを、どこまで新政権に払わせるのか、その辺も、明確にすべきかもしれない。
不要なツケは払わない、という強権も、必要に思えるのだ。
このツケに対応することは、自民党政治を引き継ぐことに他ならないのだ。
この記事はかなり控えめに書いているが、私は、地元民と名乗り、マスコミに自らを露出する人間を、胡散臭い人物だと、見ている。
地方ほど、土建政治から逃れることができないし、自民党が産業界と結託して構築した社会構造の問題点を深刻に考える人間など、ほんの数えるほどしかいないだろう。
とても、地方分権などできる国ではないのだ、日本とは。