久しぶりのハンセン病資料館

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連休の始めに、多磨全生園にある、ハンセン病資料館に行きました。

上の3枚の写真がそれです。一番上は全生園の居住地区を貫く道路沿いの様子です(この道路沿いに個人の住居があります)。2番目は納骨堂、3番目はハンセン病資料館全景です。

子供が、以前から行きたいと言っていましたし、改築後の様子も気になったので、出かけることにしました

武蔵野線の新秋津から西武バスに乗り、全生園前で下車すると、もうすぐに正門前です。

正門から中に入り、管理棟、病棟(治療棟)、居住地区を歩き、まずは、納骨堂へ。

全生園の内部は、緑が多く、ゆったりとして、静かなたたずまいです。

ここで、らい予防法にもとづき、敷地全体をコンクリートの高い塀で囲み、刑務所と同じようにして、強制隔離が行われたことを、うかがい知ることは、現在ではできません。

ただただ、静かな時間だけが流れ、内部の道は、近隣の人たちの生活道路、散歩道として使われいます。

納骨堂には、拝礼し、献花をするために訪れました。

この納骨堂は、園内でなくなった収容者の遺骨が納められています。

引き取り手のないもの、本人の希望で収容されたものなど、様々な事情を抱えた遺骨が納められています。

以前来たときも、たくさんの花が花台に生けられていて、お参りする人の絶えないことが想像できましたが、今回も、たくさんの献花がありました。

子供に花台に花を生けさせ、拝礼しました。

ちょうど、納骨堂の裏手にハンセン病資料館があります。

新装なった資料館は、2倍ほど大きくなったように見えました。

内部は、以前よりゆったりとしていて、静寂な空間であることが、より強調されているように感じました。

展示物は、そう大きな変化はないようでしたが、きれいに整備されていて、分かりやすくなっていました。

回復者(元患者のことをハンセン病ではこう呼ぶ)や医療関係者の話(録音)を聞けるコーナーが新設されいました。

この展示は、非常に意義あることで、らい予防法が、収容者の人生に何をもたらしたのか、実体験が語られています。

聞く者は、その体験談から、らい予防法の真実にふれることができます、ほんの一端にすぎませんが。

以前訪問したときは、授業の一環として、この資料館を訪れ、回復者で、資料館の運営委員のS氏に、講演をしていただきました。

提出されたレポートによれば、医学生は、それぞれに、感じるところがあったようでした。

とくに、夫婦といえども、その生活に多くの制限が設けられており、夫婦の基本である妻が食事を作り、旦那にそれを給することさえできなかったということに、隔離施設での生活の厳しさを感得した学生がいました。

ご存じのことと思いますが、多くの人権侵害と、去勢(断種)や堕胎など、医学とはほど遠い野蛮な行為が、隔離施設内では行われていましたが、とくに残念なのは、効果的な治療法が見つかり、回復への道筋がついた後も、日本では隔離政策が堅持されたことです。

医学的ではない、政治的、行政的な思惑が、隔離政策の撤廃の障害になっていたと、私は断じます。

医者、とくに公衆衛生関係者の偏屈なメンツが、そこには透けて見えます。

医者といえども、直接的に患者に接触することは避け、患者に患者の世話をさせるなど、医学とは、とてもいえないことが、とくにハンセン病の治療法が確立しない時期には、日常的に行われていたことを、大いに反省すべきです。

明治期の、細菌学的研究や公衆衛生学が未熟な時代には、伝染病の隔離政策はやむを得ないもので、感染の拡大を防いだという評価を与えるべきとは思いますが、終戦後、治療法が確立してからも、らい予防法を是正することが躊躇されたことに関しては、理解に苦しみます。

残念なのは、らい予防法の見直しが遅れたことにより、患者、回復者、医者など、すべての関係者に、多大な不利益と相互不信が生じてしまい、しっかりとした信頼関係に基づく、未来を見つめた、建設的な対策がとれなかったことです。

お金をばらまくことだけが、ハンセン病の諸問題の解決法ではないはずです。

お金が絡むと、必ず対立と、腐敗を生じます。

ただただ言葉だけで反省を表明するだけではなく、今後、ハンセン病の問題をどう扱い、後世にどう役立てていくのか真摯に考えなくてはなりません。

私は、現政権では、何もできないと考えています。

彼らの意図は、回復者がこの世から消滅するまで、莫大な税金を、全国にある収容施設に、流しつづけるだけだと思います。

そして、ハンセン病の問題を自然消滅させることが、目論見のように思えるのです。

世界には、ハンセン病は、まだ存在していて、とくに、貧困による保健衛生の不備が、この病気の駆逐を阻んでいます。

研究も、現代的手法で行われていますが、研究者の多くが強調するのは、一番の対策は、貧困からの救済です。

清潔で健康的な生活が保証されれば、この極めて感染力の弱い細菌感染症を、人類は押さえ込むことができるのです。