残念な質問

非常勤講師をしている大学で、講義の後、毎回、いくつか質問があり、熱心な学生さんがいることに、ホッとしています。

本務校より、熱心な気がします。

先日、ガッカリする質問がありました。

試験対策のため、どんな勉強をしたらいいか、という内容でした。

試験=単位をとることが、その学生の大きな目的であって、それを達成するために、いかに要領よくやるかが、最大の興味のように私には感じられました。

私の経験では、この手の質問は、本務校では全くありません。

ただ、本務校の1、2年次で講義実習を担当している教員のなかには、この手の質問をされて、憤慨している人もいます。

単位を取ることが、確かに重要ではありますが、勉強すれば、自ずと単位は取れるものであって、本をひもといて、勉強してみる、という行動を、まずはやって欲しいものです。

教育を取り巻く状況を眺めてみると、勉強のテクニックを身につけ、要領よく試験で点を取ることに関心が集中しているように思えます。

その手のテクニック本も、沢山出版されているようです。

東大を目指す子供専門の予備校?塾?を主宰しているある人物は、同じような内容の本を沢山書いていて、本屋の棚にずらずらと並んでいるのを目にします。

テクニック云々ではなく、まずは、本を開き、よく読んでみるという、最も基本的なことをやって欲しいものです。

点を取るためのテクニックに沿った学習しかしないことが、じっくり思考する機会を失わせることにならないか、心配しています。

ひとそれぞれに、勉強法はあるはずで、それを編み出すのも、学問の意義の1つだと、私は考えます。

そんな努力を惜しむようでは、単位は取れるでしょうが、何時までもコピーに振り回され、自分の学問を確立できない、中途半端なままで、終わってしまうように思えるのです。

自分の好きなことはちゃんとやりますよ、という言い訳が聞こえてきそうですが、それこそ、自分の勉強スタイルが確立していない者が、他人のコピーを頼りにして、発展的な内容にまで踏み込めるか、私には大いに疑問なのです。

労を惜しむひとは、大学教育に向いていないのかもしれません。

大卒資格、というお守りが、社会で重宝され、収入にも反映される限りは、このお守りを求めて大学に流入する要領いい人たち(要領よく生きていると錯覚している)の群れは、これからも押し寄せ続け、困った質問を恥じらいもなく、ぶつけてくることでしょうね。