非常勤講師

先日、非常勤講師をしている大学の、懇談会に出席しました。

めずらしいです、非常勤講師を巻き込んで、教育について語るというのは。

どこの大学とは言えませんが、東京都内にある歴史と伝統のある大学です。

専任の先生から、入学生の学力の低下を危惧する話が出ました。

どこの大学でも、最近の入学生の学力低下、基礎学力の欠如が問題となっています。

本務校でも、、同じ状況で、高校の先生の支援を受けて、新入生の基礎学力の再構築を行っています。

大学で、高校の勉強を、再履修するのです。

何か変でしょ?

変じゃすまされなくなりつつあるのが、今の日本の教育です。

こう書くと、パブロフの犬、あるいは、脊髄反射的に、ゆとり教育が悪い、という短絡的な思考をする人たちがいますが、私は、決してそうではないと考えます。

一つのテーマにかける時間を十分とらず、基礎を駆け足で済まし、すぐに演習に移る昨今の受験勉強型教育法に問題があると、私は考えています。

いくら知識量を増やしても、あるいは、小学校で母国語を十分にやらず英語を導入しても、そこには、情報量を増やしたという事実があるだけで、考える教育とは何か、そして、それをどう推進するのか、という最も重要な命題については、何ら議論がなされていないのが、今の日本の教育です。

脳の発達にあわせた適切な情報量を今一度検討して、一つのテーマにじっくりと取り組める教育であるべきで、それができる子どもなら、そして、考える楽しさを経験したことのある子どもなら、余分な知識は、後でいくらでも吸収する力が身に付いているはずです。

なにをガツガツしているのでしょうか、日本の教育は。

このままだと、今の子どもたちが、第一線で活動をする頃には、例えば、科学分野で真に独創的な研究ができる人材が育たないのでは、と心配になります。

知識を効率よく運用することに主眼をおいた教育では、自ずと限界があるように、私には思えるのです。

もう、高等教育の場では、その兆候が出始めています。

どこかで、情報集積型教育(私の勝手な命名です)を改めないと、日本の科学は、崩壊するような気がしてなりません。