上から目線の(今風の大嫌いな表現法!)で、学校を評する若い親が多い。
横文字でいう、クライアント様なのである。
こういう親に限って、くさい、パフォーマンスにつられて、いい学校だ、教育方針がしっかりしている、などと、ブログで宣伝したりする。
なんて単純なんだろう。
こういう、クライアント気分の若い、経済的に余裕のある親が、教育を引っかき回している。
結局、日本には、お金が余っている人が多いのだ。
コイズミが、富の再配分を抑制したため、特定のところにお金があまり、じゃあ教育へ、とばかり、教育産業にお金が流れているのだろう。
親は子供に弱い。
子供のためには、なんとしてでも、である。
そして、教育には、お金がかかるのは当たり前、という世間の常識。
よく、マスコミという風見鶏が、特集を組んで、教育費の必要額を算定し、こんなにかかるんですよ、覚悟して出しなさいね、と余計なお節介を焼いている。
そんな洗脳が、いま、日本全国を席巻している。
それにしても、最近の金余りな、若い親は、自分で思考するということがないらしい。
こんな親に育てられた子供が、そのブランド力を利して、世の中の中枢に入り込み、引っかき回すのだろう、あの総理大臣のように。
私だけ特別、の代表選手ともいえる、クライアント親は、、私たちに特別なサービスすることが、よい教育なんだ、と考えているので、ターゲットにされた学校の教育は、破壊されるだろう。
教育も、休暇ごとに、家族で泊まる高級ホテルを選ぶのと同じ感覚なんだろう、この手の親にとっては。
東京都の教育も、このクライアント親で構成される、私だけ特別を主張する集団に対する、受験教育サービスを開始したが、果たして、どうなることやら。
公教育がやることか、もう一度よく考え直してほしいものだが、都知事があれじゃ、どうにもならないだろう。
なんか変だな。