国家の品格に、戦前のエリート教育の成功を、評価する行がある。
藤原氏の随筆は、文章の確かさからか、楽しめるが、この戦前のエリート教育に関しては、私は、全く賛成できない。
旧制中学、高校における、教養主義的な教育は、広範な知識を、詰め込むのでなく、真に自分のものとして理解させるために、余裕のある教育だったと、私は理解している。
しかし、悲しいかな、結果が全てである。
そのエリート教育が、真に素晴らしいなら、なぜ、戦争に突入していったのか。
世界情勢から、そして、日本の国内事情から、戦争は避けられなかったという論があるが、それは、果たして、真実だろうか。
国力の増進で、国民生活の向上を図ることは、国家として当然のことではあるが、それを追求するあまり、戦争を選択するというは、なんとも同意しかねる。
この時期、藤原氏の讃美する教育を受けたエリートは何をしていたのか。
機能していなかった、としか思えない。
剣はペンより強し、ということで、全てを帰着させていいのか。
軍を、利用して、国力の増進を企画したのも、このエリート達だったのではないか。
藤原氏の言う、戦前のエリート教育の成功とは、何なのか、皆目見当がつかない。
個々人にとっては、人格形成と教養の成熟には、大いに役立ったのかもしれないが、それが、国家の運営においては、生かされたとは、私は、思えないのだ。
私の無知かもしれないが、国家のために、軍の暴走に、命をかけるエリートはいなかったということなのだろうか。
藤原氏の支持する旧制中学は、多くの陸海軍士官学校への進学者を出していた。
それが戦争指導をした結果が、先の大戦だったわけだ。
果たして、何が戦前のエリート教育の成功だったのか、全く取っ掛かりがなく、私は、理解できないのだ。